トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧

現代歌人ファイルその121・真木勉

真木勉は1947年生まれ。「港」短歌会を経て「短歌人」所属。富山県在住の歌人である。1994年に第1歌集『人類博物館(ミューゼ・ド・ロム)』を出している。この『人類博物館』という歌集、実はかなりの異色作である。なにしろ、「ホラー短歌」なのだ。 「ア…

一穂ノート・6

一穂がエッセイ「白鳥古丹」を発表したのは1965年、「古平同窓会報」誌上である。幼少期を過ごした故郷古平に対する一穂の熱い思いがあふれている一篇である。伊藤整に「北海道訛りがありますネ」と云われ、「生国の言葉を忘れるやうな俺れは軽薄な男ではな…

穂村弘百首鑑賞ロスタイム・高橋源一郎の「シンジケート」評

穂村弘の名前が一般メディアに初めて現れたのは1991年に朝日新聞に掲載された高橋源一郎の文芸時評である。高橋は『シンジケート』を引用してこう語っている。 俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億部売れてもおかしくないのに売れなかった。みんな…

掲載情報

「短歌研究」2月号の特集「雪のおもかげ」に『産地直送・北海道の雪の歌』を寄稿しました。 樋口智子、松木秀、西勝洋一の雪の歌を引いてエッセイと新作一首を書きました。[rakuten:book:14356902:detail]

一穂ノート・5

一穂は1925年、27歳の8月、「萬朝報」に3回に渡って『詩壇への公開状』を執筆した。詩人・吉田一穂の立ち位置を明確にし、詩壇の混迷状況を切って捨てる短い評論である。 一九一九年以降、多大の過誤を妊んで隠然一個の中心勢力を成し何等芸術運動としての主…

アンナ・アフマートワ『夕べ(ヴェーチェル)』

アンナ・アフマートワ(アフマートヴァとも)は1889年生まれで1966年に没したロシアの女性詩人。日本でいえば三木露風や室生犀星とほぼ同時代を生きた。ロシア詩の主流である象徴主義から離れ、アクメイズムと呼ばれる文学運動のさきがけとなった。『夕べ』…

現代歌人ファイルその120・柴善之助

柴善之助は1915年生まれ。法政大学政経科第二部を卒業後、1955年に天ぷら食堂を開業。1987年「未来」に入会し、2002年に第1歌集「揚げる」で第10回ながらみ書房出版賞を得た。 短歌は老人文学のように思われているが、実際のところ有名な歌人の多くは20代か…

一穂ノート・4

母 あゝ麗はしい距離【デスタンス】 常に遠のいてゆく風景…… 悲しみの彼方、母への 捜り打つ夜半の最弱音【ピアニシモ】。 吉田一穂のデビュー詩集『海の聖母』の冒頭を飾る短い詩である。この詩は後の詩集『未来者』にも収められている(そちらのバージョン…

一穂ノート・3

吉田一穂はもともとは短歌を作っていた。記録に残っている最も古い歌は1913年に詠まれている。一穂が影響を受けた歌人は北原白秋である。一穂は16歳の時、東京の学校に通っていたが文学に専心して不登校になってしまい、実家から北海道に呼び戻された。その…

現代歌人ファイルその119・浜田到

浜田到(はまだ・いたる)は1918年生まれ。岡山医科大学卒業後、鹿児島で勤務医となる。1935年に潮音系の歌誌「山茶花」に参加し、のちに「歌宴」「工人」に移った。1968年に、交通事故で早世している。 地方の小さな歌誌でひっそりと活動していたが、中井英…

一穂ノート・2

散文詩『石と魚』は、一穂20歳のときに書かれた初の散文詩『処女林』がもとになっている。「猟人日記」という小題が付されている通り、雪山を行く猟師の手記のような形式で書かれたものである。 小舎は雪に埋れてゐた。山影と林の記憶を辿り、二匹の犬に橇を…

一穂ノート・1

吉田一穂(よしだ・いっすい)という詩人がいた。1898年に北海道松前郡木古内町に漁師の息子として生まれ、積丹半島の古平町で育った。本名は由雄(よしお)。1973年に東京で没した。 一穂の名は同世代の詩人である金子光晴や三好達治と比べるとそれほど知ら…

現代歌人ファイルその118・西田美千子

西田美千子は1977年に「青いセーター」で第20回短歌研究新人賞を受賞した。当時23歳で結社所属はなし。その後歌集を出したという情報もなく、受賞作のみを残して消えてしまった歌人である。 駆けている大地と空のさかい目が君のかたちに一〇〇メートル裂ける…