トナカイ語研究日誌

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アンナ・アフマートワ『夕べ(ヴェーチェル)』

 アンナ・アフマートワ(アフマートヴァとも)は1889年生まれで1966年に没したロシアの女性詩人。日本でいえば三木露風室生犀星とほぼ同時代を生きた。ロシア詩の主流である象徴主義から離れ、アクメイズムと呼ばれる文学運動のさきがけとなった。『夕べ』は1912年に刊行されたアフマートワの処女詩集であり、抒情詩集である。初版はわずか300部だったという。工藤正廣による翻訳が2009年に出たのだが、これがなんと全編短歌訳されているというユニークな本になっている。

  蒼ざめし月の光に祈るわれ今朝より黙(もだ)すこころ真ふたつ
  眼差しは言い間違えて燃え上がり愛していますわれは妹
  寄る辺なく胸凍えても歩みは軽く左手袋みぎてにはめる
  ストローでわが魂をきみは吸う責め苦なき日々静かに酔えり
  ゆくりなく打ち叩けどもなお死なず紡錘体に毒針の末
 訳するにあたってどれほどの変化が加えられているのかはわからないが、短歌としていい作品が多いのが面白い。ところどころにロシア語の原文が差し挟まれているが、四行表記の定型詩である。ロシア語は定形韻律に親和性があるらしい。翻訳者の工藤正廣のインタビューも載っているが、詩人で日本文学者のヴェーラ・マルコワが石川啄木をロシア語訳した方法論をヒントにしたそうである。アフマートワは古典的で平明な作風が持ち味なので、口語がどうしてもうまく乗らなかった。だから短歌の音数律という方法をとったそうだ。

  海風もわれは愛さず日没も去れという語もただ眼を覗け
  みずうみの岸辺さまよう少年のかそけき音に百年を抱く
  かくて愛ほほえむ時は家に野にきみはいずこも自由のみそら
  栗鼠(りす)皮の雲空たかく雪姫よ溶けて三月惜しまずと彼
  月光は川面を照らし匂い立つその手冷たき侯爵夫人
  ただ三つ白き孔雀と晩禱歌(ばんとうか)使い古せしアメリカの地図
  新月に去りしきみ言う五月まで綱渡師よ生きてありやと
  帰り来てわれ凭れてもただ問うは妃(ひ)よ誰がために祈りしなるや
 原詩の影響か観念的な歌が多い印象があったが、全体にロシアの清冽な空気感がよく伝わってくる叙情的な作品群となっている。なお本の裏表紙に、石上玄一郎の自由詩訳(「自殺案内者」という小説の作品中で訳して引用したもの)と工藤正廣の短歌訳が二首対置されている。

  葬れ風よ、我を葬れ、親はらからは来もせで、さ迷える夕べと静けき土の臭のみ

  風よ立てわれを葬れわがうえは肉親(はらから)も来ず静かな大地

  見よ風、我が冷けき屍を誰が手にゆだぬべくもなし……

  余りにも生を望みしそのわれの冷たき屍(かばね)手おくひとなし
 並べて読んでみると、「短歌訳」の妙味がなかなか楽しめる。

夕べ―ヴェーチェル

夕べ―ヴェーチェル