トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその169・小島孝

 小島孝(こじま・たかし)は1957年生まれ。埼玉大学教養学部卒業後、1984年に「かばん」に参加。そしてその翌年に28歳の若さで病死している。
 私が小島の短歌を知ったのは穂村弘経由である。穂村自身も「かばん」入会時にすでに亡くなっていた歌人として、この歌とともに紹介していた。

  婚礼の鐘はディンドンわが指はポテトチップのあぶらにぬれて

 穂村はこの歌に夭折の匂いを感じ取ってしまったという。実際この歌は1985年10月、亡くなるわずか2ヶ月前の日付が付されている。ほぼ辞世に近い歌なのである。それにポテトチップを詠み込んでしまえるあたりが、只者ではない才能のあらわれだろう。「ディンドン」は鐘の音の擬音である。祝福の一色でまばゆい光を放っている婚礼のなか、自分(参列者なのか新郎なのかはわからない)の指はポテトチップというジャンクフードの油で輝いている。二つの光の対立があり、そしてときにはポテトチップの油の光が祝福の輝きを凌駕することだってある。輝かしいものほど、その裏に大きな闇がある。確かに不穏さをまとった歌なのだ。

  つるされて揺れているのは蘭の花汝が肩先に触るるごとくに


  きみの愛した犬死にけるを告げられて靴に歯形の残りしことも


  うつくしき思ひたりしが翌朝はピアノの和音濁らせて弾く


  裏切りの理由語られざるままに福音の書は復活に終はる


  救済はわれにあらずや支那竹が歯にはさまりてゐたる土曜日


  手首切るにはしあはせすぎるバターナイフバターのなかに突きたててをく

 これらの歌にも、美しいものをあえて乱したいという思いがあらわれているように感じられる。キリスト教の信仰があったのか、聖書を題材にした歌もある。「歯にはさまった支那竹」から「救済」されない自分自身に思いを馳せる。くだらない小さなことのように見えるが、死の気配を背景にすると悲劇的な世界がたちあらわれてくる。


  テーブルにひと集まりて来たけれども銀器に映る世界は昏し


  天使の翼捨つべき場所を捜しつつわが欲るは一杯の薔薇茶(ローズティ)


  わがひとに時差一時間の夕暮れはせつなかりしに〈きみを抱いていいの?〉


  花束に汝が選びける桔梗の色淡くしてかなしかりけり


  仏壇の裏板やはらかく犬好きの祖父と犬嫌ひの姉の戒名に同じ文字あり


  ドアたたけばドアたたくわれとドアたたかれる女とドアたたく音

 「かばん」1986年2月号の追悼特集を読む限り、他の同人も小島のプライバシーについてはあまり詳しい情報を持っておらず、いつから病床にあったのかもよくわからない。歌人としての活動はわずか1年程度である。しかしその数少ない作品から読み取れることとして、大きな目的意識を抱いていながら目の前の小さな行動を起こすことすらもままならない自己像が繰り返し描かれることである。その大小の徹底的な対比は、正岡子規の病床詠を思い起こさせる。そして「優子さんへのラブソング」と題された一連(冒頭のポテトチップの歌はその最後の歌だ)では、詞書として1984年から入院していたことと、1985年6月に誕生日のプレゼントを選びに行ったことが記される。
 短歌の長すぎる歴史のことを思えば、たった1年程度しか活動していない歌人にすぎない。しかし、死の予感を抱きながら誕生日プレゼントを見繕いに出かける行為に、人間の真実に肉薄していない要素があるようには思えない。終わりの2首は、最後に発表された連作「月なき夜のご乱行」に含まれる歌である。この連作の歌は破調だらけだ。それはまさに、悲鳴だったのだろう。