櫟原聰(いちはら・さとし)は1953年生まれ。京都大学文学部国文学科卒業。「ヤママユ」に所属し、前登志夫に師事。1989年に第一歌集「光響」で第15回現代歌人集会賞を受賞した。奈良県の高校の教頭先生とのことである。過去の作品は日本ペンクラブのウェブアーカイブ「電子文藝館」でも公開されている。
師匠にあたる前登志夫は奈良吉野で林業を営みながら作歌していた人で、アニミズム的な自然詠を多数つくっている。櫟原もその影響下にあり、自然に対する感度が非常に強い。
雲ひかる氷雨の空のかがやきに革命をせる民を思へり
はるかなる谷ひびきあひ空となり一本の樹にかなしみは降る
昼の星ふき飛ぶごとくまつ青な太陽はあり樹に降りそそぎ
群青の空のあけぼの呼びあへばこだまとなりて人ひびきゆく
春になる森のしづけさ語らへば梢にひびきことば幸はふ
急にひばりのさへづりは鋭く空に噴き青空を降り哭けるわが谷
生駒嶺を見つつ戻れる家なれば身にこもりたるこだまを放つ
櫟原の歌を特徴付けるキーワードは「こだま」だろう。人間と自然を切り分けて対立させるような自然観には決して与しないが、人間が自然のなかに埋没していくような世界観もやんわりと拒否している。何よりも重視するのは人間と自然の対話。声をかければちゃんと響き返してくるという関係性を素直に信じている。
りんごひとつ手にもつ時に空深く果実に降るは果実の時間
拒みつつ青年となるわがそばに火のごとく澄む青空ありき
樹に寄りて空を見てゐる人たちのかなしみとしてしづかな未来
やはらかききみのくちびる濡れながらわれを見てをり正午の若葉
花嫁のとほきまなざしの澄む朝(あした)秋の青空は息つめてをり
声にうたふ咽喉(のど)やはらかき夕闇をひとつ星きみにひたきらめかむ
青空にひとつはるけきピアノありひかりの粒はそこよりこぼる
樹を彫りししづかな楽器空に鳴り空かがやける世界の真昼
うつくしき匂ひかなでてわが食める瞳のごときレモンの楽器
こうしたピュアな青春歌も櫟原の持ち味である。しかし櫟原は青春をあっという間に過ぎ去ってしまうはかない時間とは捉えていないのだろう。樹や空や星の時間に呼吸を合わせ、悠久の時にもリンクしえる「青春性」を志向しているのだと思う。「果実の時間」に寄り添えば、人間もまた同じ「果実の時間」のなかに自らの永遠を封じ込めることができるのだ。
われ雪の野の道ひそとゆかむとす高澄みて青き樹の鐘は鳴り
しょくぶつの数限りなき枝のびてくうかんは白花あふるる真夏
一万年過ぎしのみなる青空を映してただにしづもるプ−ル
樹に倚りて眠れるごとし一人の髪長ければ肩に触りて
春の風一時に来たる大和辺の青垣山はことばの港
耳成の青菅山を過ぎゆきて神の三輪山へ向かはむわれは
冬花火若草山にあがりたり山焼く炎見つつ祈らむ
自らの住む大和の地への思い入れも強い。自然への敬虔さは呪術的要素もはらんだ原始宗教にも近づいている。それはときに、文字が生まれる以前の言葉の香りをも残している。その点で、櫟原は短歌の音楽性をかなり意識した歌人である。楽器を詠んだ歌が多いのもそのためだろう。
櫟原の短歌は基本的に希望の歌である。自然との対話の可能性を、青春の永続性を、真剣に信じている。空への憧憬は、いつまでも上昇していける世界観の反映だ。読んでいて勇気が出るし、もっともっとやってやろうという気になる。どんな人生訓よりも、ごく自然にこのありのままの世界に寄り添っている姿に心動かされるのである。
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