大谷雅彦(おおたに・まさひこ)は1958年生まれ。「水甕」「ヤママユ」を経て、「短歌人」所属。1976年、高校生の時に応募した「白き路」が第22回角川短歌賞を受賞。当時史上最年少の受賞者として話題になった。しかしその後長きに渡って歌集は出しておらず、ついに第一歌集「白き路」を出版したのは1995年のことである。20年の間に、どれほどの変化があり、どれほどの気持ちを抱き続けてきたのだろうか。
「現代歌人セレクション 大谷雅彦集」に寄せられたエッセイによると、古典和歌にしか興味がなく、近代以降の短歌をほとんど読まない状態のまま歌を作り上げ、受賞に至ったらしい。そのせいか、高校生デビューを果たした時から和歌調の歌を使いこなす大人びた作風であった。彼もまたあまりに早熟な歌人の一人であったようだ。
あらくさの最中に光る泉あり春のひかりの在処と思ふ
山水を飲みつつはるか来たりけりこの道端に山吹の花
奥山の峰よりおこるせせらぎのしげく響みて竹群に入る
夏の日のさびしき夕べかなかなとひぐらし蝉と聞きわけてゐる
はるかなる冬の夜空を焦がしつつくれなゐぐもは竹叢に伏す
一日の言葉を捨てて橋をわたる夕焼けてをり空の芯まで
徹底して自然の描写に徹することにこだわっている。その風景の中に人間を入れることを拒んでいるかのようだ。自分だけの美しい世界の中に他者を決して寄せ付けず、自分自身の存在感も可能な限り希薄化しようとする。そんな表現の先に、自然美とひたすらの静寂が見えてくる。
らふそくの長き炎は揺れてゐる君の髪間の透きとほる色
秋の日のひざしが下に幼子は栗を手にして笑み満つるなり
昏れてゆく数千の杉にこだまするわれのかなかなみじかき一夏
橋の上に吾が立ち居れば川下の製紙工場影を長くす
言葉絶えてふたり渚に明るめば二月の湖がつよく匂へる
やはらかに柳しだるるゆふまぐれ花咲きてのち人はありしか
たつたひとつの言葉をもちて冬となる魚座の君が明るみて立つ
もちろん人間を詠んだ歌もある。自然と対比する存在として、「われ」をはじめ人間を登場させる。相聞歌は、実は結構ピュアで清潔な印象だ。しかし不思議なことに、人間を詠めば詠むほどその背景にある自然がただの舞台装置ではなくなってくる。人間と自然物が等価の美として主張し合っている。そんな情景を志向しているように思う。
たそがるる空の芯よりふいに垂るる夏の鞦韆ひとりのために
オリオンの赤き光はまつすぐに湖に差す睦月のをはり
緩やかに弧を描きたる水平線 ホライズンといふ声のみ響き
デジタルの辞書の見出しを辿りゆく「見開き」のなき野を漂へり
観覧車ゆつくりとわが視界まで闇を引き上げてくる十五分
われらすでに空に浮きつつ夕闇の濃ゆき梅田を漂ひゐたれ
「現代歌人セレクション」に載せられた第一歌集以降の作品には、少なからずの変化がみられる。「デジタルの辞書」「観覧車」といった現代的・都市的モチーフを扱うようになり、海外詠なども含まれ始めた。それによってよりくっきりとした作者の自己像が立ち現れるようになってきた。
70年代半ば、近現代短歌のあり方を拒否し、古典和歌の世界に沈潜した少年がいたこと。それはおそらく歌によって時代と切り結ぶこと、現代人の代表のような顔をして創作をすることへの拒否だったのだろう。彼は時代の落とし子としての刻印をしたかったのではない。単に歌を詠みたかったのだ。その後長く歌集をまとめなかったのは、そうした「機会詠としての短歌」のムードが落ち着くのを待っていたからかもしれない。そして考えようによっては、それは前衛短歌に対する一つの批判のかたちでもあったのだろう。
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