大塚寅彦(おおつか・とらひこ)は1961年生まれ。1980年に中部短歌会に入会し、春日井建に師事。1982年「刺青天使」にて第25回短歌研究新人賞を受賞。春日井建没後は、中部短歌会の主宰を引き継いでいる。
プロフィールの通り、短歌研究新人賞を受けてデビューしたのは21歳の時である。その時点ですでに春日井建の世界観を引き継ぐ若き歌人として天才性を発揮していた。師匠同様、早熟であった。
指頭もて死者の瞼をとざす如く弾き終へて若きピアニスト去る
をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪
青空の青のゆゑ問ひいつしかに睡りし君もわれもをさなし
真夏へのエチュード 駆くる少年の花車な楽器のごとき自転車
海はけふ傷のごとくに鮮しと告げくるひとをまぶしみてゐつ
嵌め絵(ジグソーパズル)のモナリザのゑみ散らばれるこの曇り日の少女の居室
端正な文語で綴られるこの世界観は、ひたすらに美的感覚のみで構成されている。これらの歌を見て、青春性にあふれると感じるか。それとも難しい言葉遣いをしていて年寄り臭いと感じるか。どちらも正解である。「をさなさ」と「老い」の相克が大塚の歌の基礎にある。永遠の若さ、幼さを希求しながら、わずかな一瞬の中に成熟した大人への憧れを覗かせる。大塚の短歌はきらきらした青春歌である。しかしどこか老いの影をにじませるのは、一瞬が永遠になることへの諦念があるからだと思う。現実を、社会を受け入れていく直前の青年像が浮かび上がってくる。
ねむりばす咲(ひら)きぬ或るは水底に沈める者の永久(とこしへ)の夢想
浮光掬ひ得たるごとしもひそやかに唇(くち)づけたるに君の醒めざる
死者のかほ覆へるごとく白布干す窓ありこの蒼穹のきはみに
花の屍(し)ににじむつきかげ いもうとの匂ひ百花香(ポプリ)のうちにまじりて
烏羽玉の音盤(ディスク)めぐれりひと無きのちわれも大鴉を飼へるひとりか
いまは亡き星の光もまじらふをしづもりわたる夜半の連甍(れんばう)
死を意識した歌の多さも、その意識につながっているのだろう。若さを保持したまま死んでいくことと、老いさらばえて死んでいくことの差。そこをずっと考え続けているかのような歌だ。自分の若さの死は、自分自身の死か。他の人にとってはどうなのか。大塚が詠む死はいつも深い水底や遠い空の上にあるように見えて、実はポケットの中のように近いところにある。
モニターにきみは映れり 微笑をみえない走査線に割かれて
夜半ふいに想ひぬテレフォン・ボックスのうちなる昼の少女の背丈
プリンスのギグ観ぬままに極月の冷雨だれかに殺されてみたい
球追ひてチャーリー・ブラウン退りゆく風は春とこしへに退れよ
口紅のつきしストロー立ちしまま僕らの夏のテーブルは暮る
ウォークマンONにせしのち色感のはつか変はりしゆふぐれの街
星の夜の回転ドアの回転に複数形のきみ見えしこと
噴水のみづの頂点にて踊る帽子を想へ昼のうつろに
吊革に立ちてすずろに想ふこと亀甲を出ず亀は生(よ)を終ふ
1989年の第2歌集「空とぶ女友達」以降は現代風俗やポップカルチャーを積極的に取り入れた歌が目立つようになった。俵万智や加藤治郎ら同世代の歌人たちの動きに呼応する部分もあったのだろう。ロックミュージシャンのライブを意味する「ギグ」という言葉を歌に使ったところ、ベテランの歌人たちが誰一人としてその意味がわからなかったというエピソードもあるそうだ。「現代短歌最前線」にて「二〇三三年トラヒコ七十二歳」という未来SF小説のような文章を寄せているあたり、ブームに乗ろうとしたわけではなくもともとそういう世界が好きなようである。
第3歌集「声」以降からは生活者の苦みを前面に出した歌(上でいえば最後の吊革の歌)なども散見されるようになった。大塚寅彦は歌人としては早熟であまりにピークが早かったショートランナーのうちに数えられてしまうだろう。しかし、永遠の青春を一瞬に閉じ込めることへの憧れ、何よりも美に奉仕する人生の素晴らしさ、春日井建が抱き続けた美学を今も継承する存在として、貴重である。
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