トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその165・高木孝

 高木孝(たかぎ・たかし)は1968年生まれ。1998年に同人誌「ぱにあ」に参加。2004年に第1歌集「地下水脈」を出版している。
 高木と同年生まれの歌人には千葉聡や枡野浩一、1歳下に吉川宏志、2歳下に松村正直がいる。彼らはニューウェーブ短歌の影響を受けながらも、その新しい短歌運動を相対化し、ときに批判的に見つめ直すということを初めて行った世代といえると思う。そして高木もその一人である。「ぱにあ」発行人である秋元千恵子の解説によると、超結社の歌会や研究会に積極に参加し、「ぱにあ」誌上にて「若者からの発信」というレポートを連載していたという。
 高木の歌集でまず印象的なのは、ニューウェーブを消化したポップで楽しい歌たちだ。

  (ね)家庭を大事にしない奴は信用できない(こ)猫の法則


  奔るひた走るコンピュータッタッタタタ多多みづの彼方の水へ


  あの、思ひ出すと少しく胸傷むホットケーキさおいしかつたね


  落し紙?不要だ思へ俺が今真つ白なTシャツ着てる理由を


  とても、ね、とても静かな、本当は冬木の中にひとりぼつちで


  ざっとまあこんな感じで塗り分ける色えんぴつの行進タッタッ


  やあ交差点の真ん中にて我は停まつたッきり頑ななbus

 口語を取り入れ表記の幅を広げた自由度の高い短歌。闊達で、面白い。タと多を重ねるビジュアル的なレトリックも含め、読んでいて楽しい作風だ。秋元千恵子の解説によると、こういった作風の出発点となったのは「ざっとまあ〜」の歌だそうで、「ぱにあ」誌上に載ったとき仲間をとても面白がらせたという。

  峰 ゴルフボールが穴を這ひ上がり芝生を滑りクラブに吸はる


  次期課長候補なりしが希望してあの世へ人事異動ありけり


  またきみと巡り合ふため眉しろきメリーゴーランドの馬に乗る


  Vサインしてから腕は雲を掻くクロールそんな具合におろす


  ハンモックから垂れる手に捉へられ放され沖を走る舟かな


  わがバニラなしチョコレートストロベリー他約百種色即是空

 他に印象的なのは、動きを点として把握する歌が多いことだ。なめらかな動画ではなく、ゆっくりと点で動きを捉えようとする。その表現法が、独特の世界観を生み出している。1首目のゴルフボールの歌は、逆回転という処理がなされている。解説の荻原裕幸はこう書いている。「従来の自己像の表現が、いったんは大きな類のなかの一人として描かれ、そこから特殊化されてゆくのが典型だったのに対し、高木はどこかその典型から逸れてゆく」。集団や他者と比較して自己をいぶりだすのではなく、自己の中に世界に触れるためのいくつものポイントを設置しているようなイメージなのではないか。

  替へてやるおむつ小さき肢を持ち上げて「信じる人」と対き合ふ


  ひるがほ*どこかでいつかまた会へる予感 洗車後濡れるフェンスは


  夏終はりさうな二人にやや水気ふくんで落暉あり沈まない


  ごらんほら怖くないのにみどりごは顔を背けるてのひらの雪


  てぶくろは嫌ひだいつも片方をなくす うつすら雪積もる岐路


  ありつたけの語彙を絞りて坂道をのぼる自転車「パパがんばれえ」


  ねこである妻はインフルエンザとふ病名を得て春の海かな


  わが子へとことん漕げと呼びかける水路かも三輪車ひらひら

 歌集の後半になると家庭の歌があらわれるようになる。家族の歌には、視点をポイントで動かしながら描写するような実験性のある歌は多くない。しかし透明感のある抒情はそのまま表現することに成功している。あとがきに謝辞として妻子の名前を記しているのは、歌集としては珍しい。作風に幅があり、多面的な読み方ができる歌人であると思う。