水上比呂美(みなかみ・ひろみ)は1951年生まれ。青山学院女子短期大学国文学専攻科卒業。大学で高野公彦に学び、2001年に「コスモス」に入会。2009年に第56回コスモス賞を受賞。同年、第1歌集「ざくろの水脈」を出版した。
初めて水上比呂美の名に注目したのは、2007年の角川短歌賞にて最終候補となった「美男な鰐」である。誌面に全作品が載ったわけではないのだが、ペットショップで出会った美男の鰐と同棲を始めやがて殺害に至るというミステリアスな筋立てを短歌連作で表現していたことに興味を抱いた。そしてこの連作、歌集ではなんと長歌として再構成されている。このように、水上は比較的「物語る」ことへの志向が強い方の歌人らしい。
プロモーション・ミュージック鳴らしトラックが渋谷の街をずちやずちや走る
いかづちが近くで鳴りて太束(ふとたば)の斜線の雨がわれを追ひ来る
ルリタテハ青年が行き胴太きヤママユ婦人が行く交差点
玉くしげ宮益坂のはかり店こはされしのち駐車場となる
羅紗紙にミルク零して二つ折りそして広げし形なり肺は
古き世の蛾の名「ひひる」とつぶやけばくびすぢしろき伯母が顕ち来ぬ
2009年の歌壇賞次席作品「ひひる」より。「ひひる」とは歌にある通り蛾の古名である。渋谷の街の風景をユーモラスに描きながら、「ひひる」という言葉が生きていた古代へとリンクしていく。こうした構成の巧みさが印象的だ。
その騎手が鞍から落ちてかろやかに一位で駈け込む栗毛の駻馬
布切れと紐二、三本の服を着た若き女性が政治批判す
クーラーも冷蔵庫もないあのころの方が今よりすずしかつたね
コンビニで男子生徒がコピーとる「nonno」の特集〈ゆかたの着方〉
昭和二十六年発行の母子手帳「妊婦用砂糖券交付」の記載あり
こうしたユーモアや風刺の歌が印象に残る。基本的には現代社会批判、都市批判が根底にあるように思う。作者の実人生に寄り添った歌もそれなりにあるのだが、そちらよりもこういった作風のほうが作者の生身の姿が出ているように感じられる。
アトムとはまるで似てないリー・マンは空は飛べぬがもち肌である
近未来の病院内を音もなく介護ロボット行き交ふ夜更け
リー・マンのおめめはどうしておほきいの オマエヲズットミハルタメダヨ
リー・マンのおててはどうしてなーがいの オマエノクビヲシメルタメダヨ
センサーが197個ついてゐるロボットの皮膚は赤ちやんのごとし
シリコンのやはらか肌に触れしとき声出すといふ子どもロボット
いづこかできつと開発されをらむかはいい子どもの殺人ロボット
「もち肌ロボット」「子どもロボット」という連作からである。ともに新聞記事で見たロボットの記事をもとにしたもので、「もち肌ロボット」リー・マンは介護ロボットである。ロボットについての連作を2つも作るほど妙な執着を見せているのは、科学技術への興味からではなく、生命倫理に対する意識規範のせいだろう。だからこそこういった毒のある詠み方になる。「美男な鰐」にも「殺す」というモチーフが出てきたが、「殺し」に対して嫌悪とともにどこか甘美な魅力も感じているようだ。効率化の名のもとに「役に立たない」いろいろなものが削除されてゆく現代社会全体に「殺し」の気配を覚えながら、同時に破滅の美学にも浸る。その二律背反の矛盾を歌にこめている歌人であるように思う。