野口あや子(のぐち・あやこ)は1987年生まれ。2004年に「幻桃」、2006年に「未来」に入会。松村あや、加藤治郎に師事。2006年、「カシスドロップ」で第49回短歌研究新人賞。2010年に第1歌集「くびすじの欠片」で現代歌人協会賞を最年少で受賞した。短歌研究新人賞受賞時は現役の高校生であり、初期作品は学校生活をスケッチしたものが多い。
熱帯びたあかるい箱に閉ざされてどこへも行けないポカリの「みほん」
ひとのこえ学校指定のスリッパで遠くへ放る 五月は怠惰
はつなつの服装検査 先生に短いリボンを直されている
2x−5y=0 ピーチミントのガム噛みながら
ただひとり引きとめてくれてありがとう靴底に付く灰色のガム
チョーク持つ先生の太い親指よ恋知る前に恋歌を知る
ひりひりするような苦悩に満ちた学校生活が描かれている。歌の中に表現される作中主体像は、おとなしい文学少女タイプではない。鋭い感受性を持ってはいるが、気は強い方で、決して自分一人の世界にはこもらないタイプである。大人が扱いやすいような優等生ではないのだ。好きな作家が金原ひとみであるということを考えると、得心できる作風といえる。
封切った缶のドロップいつだって残る薄荷の話をしよう
ゼリー状になったあなたを抱きかかえ しんじつから目をそむけませんか
もう迷うことなんてない 君の手で時計の針が外されていく
色褪せたうさぎのワッペン撫でさする 悩みがないってわけじゃなかった
なにもかも決めかねている日々ののち ぱしゅっとあける三ツ矢サイダー
えいきゅうにしなないにんげんどうですか。電信柱の芯に尋ねる
わたしたち戦う意味は知らないし花火を綺麗と思ってしまう
アクリルの白いコートを汚す雨 好きってそういう意味じゃなかった
いつも誰かに置き去りにされるという感覚を抱え続けながら生きている。その苦悩の中であがきながらも、決して膝を抱えようとしない。そんな少女像が伝わってくる。印象的なのはキャッチーなキラーワードを生み出せるセンスだ。「しんじつから目をそむけませんか」「えいきゅうにしなないにんげんどうですか」「好きってそういう意味じゃなかった」など、それだけを単独で抜き出しても人目を引くような、どきっとするフレーズである。モラルとアンモラルの隙間を巧みに衝く言葉選びに優れている。
髪の色を一剤二剤で抜いている次なる僕は「ピーチブラウン」
左手首に包帯巻きつつ思い出すここから生まれた折鶴の数
真夜中の鎖骨をつたうぬるい水あのひとを言う母なまぐさい
浮き出したあばらの檻に棲む鳥のためあのひとは「白鳥」を舞う
ピンク色のタイツだぶだぶ拒食症(スキニー)は子猫をかきむしりつつ去れり
窓ぎわにあかいタチアオイ見えていてそこしか触れないなんてよわむし
ゆるすことゆるされることそのどちらも砂糖まみれのさみしい薬
生きてって言われて欲しいひとばかりコットンキャンディー唾液でつぶす
実は初めて野口のプロフィールを知ったとき、1987年生まれで2006年時点で現役高校生という点に「?」を感じた。年齢が合わない。どうやら事情があり、遠回りする学生生活を送ったらしい。その遠回りがこのひりひりとした世界観に影響を与えている部分もあるのだろう。2008年10月号の「短歌研究」には「拒食症だった私へ」というかなり直截的なタイトルの連作を発表しており、「かあさんは食べさせたがるかあさんは(私に砂を)食べさせたがる」というなかなかショッキングな歌も入っている。これがそのまま作者自身のリアルを反映しているわけではないのだろうが、野口の歌に満ちている悲痛さは、生きることへの渇望が本質にあるように思う。デビュー以後、そして歌集を刊行してのちも、野口の歌は作れば作るほど生きる覚悟と凄みが増していっている。野口あや子はどれほど苦悩しても自滅することがない。苦悩するほどに積極的に外に開いていこうとする志向がある。どんなに痛々しくても最終的にはカタルシスがあり、どこか気持ちを楽にしてくれる。そういう特性を持つ歌人であるように思う。
- 作者: 野口あや子
- 出版社/メーカー: 短歌研究社
- 発売日: 2011/07
- メディア: 単行本
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