トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその130・中山明

 中山明(なかやま・あきら)は1959年生まれ。駒澤大学文学部卒業。1980年に「炎祷」で第23回短歌研究新人賞を受賞。「詩歌」にて前田透に師事し、前田没後の1984年に「かばん」創刊に参加。同年、第1歌集「猫、1・2・3・4」を出版した。
 歌集のタイトルのポップさからもわかる通り、最初期のニューウェーブ短歌を担った歌人である。ファンタジックでサブカルチャー的なイメージの短歌を技巧的に組み立てている。

  寝ころびて午後のうさぎを待ちてゐるアンニュイをほそき雨は埋めつ

  
  幻の駱駝を飼へば干し草のごとく時間は食はれゆくなり


  開戦になだれむとする一夕もあはれプレストを振りつづけたり


  国境の雪にまぎれて一挺のチェロを負ひたるひとかげも越ゆ


  ザムザムの井戸よわが汲む水桶はあまた乾ける砂をすくひき


  死して残すもののかずかず 落書きの猫の絵なども飾られありぬ


  サリエリのこころをおもふ チェンバロに俯(うつぶ)して哭く男のこころ


  普遍的に存在する猫! をおもひゐつ 哲学と云ふはかなしかりけり


  あるいは愛の詞(ことば)か知れず篆刻のそこだけかすれてゐたる墓碑銘

 これらの歌が主張しているのは人生のリアリズムではなく、フィクションめいた異世界に浸る快感である。短歌の私小説性を脱却させた前衛短歌の流れと、ドラマツルギーよりも絵画性を重視した「詩歌」という歌誌の流れとが合流した姿である。ここで大事なのは中山の歌が純然たる文語短歌であることだ。「あるいは愛の〜」の歌を引いて穂村弘はこう評した。「このような高度な文体を自由に使いこなす若者は彼らを最後に絶滅した」「八〇年代の終焉とともに若者たちは非日常的な言語にリアルな想いを載せるということが出来なくなったようだ」。すなわち文語文体にリアリティを感じられる若者の最終世代の象徴としてこの歌は引かれた。ニューウェーブの萌芽を担ったのはまだまだそういう世代であり(他にその世代に想定されているのは、紀野恵や大塚寅彦である)、ニューウェーブとはイコール口語短歌運動ではなかったのだと思う。

  わたくしはわたくしだけの河に行く ゆめのほとりのきみに逢ふため


  かなしみにおぼれるやうにたしかめるやうにあなたの掌に触れてゐる


  手ばなしの夏にあなたはゆれながら水のほとりにたたずんでゐる


  をみなとふにがきうつはにしろがねのみづなみなみとあふるるらしも


  聞こえなくなるまで僕はお別れの鐘を鳴らしてゐるのであった


  ひぐらしが鳴くまで きみに初めてのながい唇づけをしてしまふまで

 1989年の第2歌集「愛の挨拶」ではひらがな表記と口語表現を大幅に増やしている。やわらかに澄んだ抒情が魅力的な歌群だが、中山にとってこれは「最終世代」のカーテンコールだったのかもしれない。この歌集を最後に中山はしばらく短歌を離れた。そして1996年にオンライン歌集「ラスト・トレイン」を無料公開し(歌集そのものは1991年に最終稿が完成していた)、決定的に短歌と別れを告げた。

  あの夏の記憶の路のつれづれに振り向けば空を裁る縦走路


  なにもしてあげられなかった歳月の末にかうして魚をみてゐる

 
  駆け降りてゆくたそがれのアスファルト 海峡を出る船腹がみゆ


  さやうなら 訣れの支度ができるまで水鳥の発つさまをみてゐる


  うつくしい夢をみすぎてゐるだけのわたしのための遠い食卓


  ありがとうございました こんなにもあかるい別れの朝の青空


  きみがあかるい雲になるまで たそがれの海の鯨をおもひゐたりき


  ぼうっとしてゐるあなたが好きでぼくはもうこんなところまできてしまった


  なめらかにおとなになってゆくきみの時間に淡くかかはりてゐる


  おそらくはあかるい雨が降るのだらうふりむかないで訣れる朝も


  もうぼくはここにはゐない 校舎から自動オルガンの賛美歌が聞こえる


  あたらしい明日があなたにくるようにぼくはかうして窓をあけてゐる

 別れの歌の多さは、そのまま中山自身の歌に対する思いへとつながる。小さな宝物のようなセンチメンタルな歌ばかりを残して、中山は去ったのである。これが黎明期のインターネットで無料公開されたということは大きな意味を持っている。非日常的言語への想像力を喪失して80年代が終わったのと同じように、やはり何かある種の言語への想像力を喪失して90年代は終わるはずなのだ。その「何か」に、インターネットというツールは大きく関わるはずだ。そんな確信に近い予感があったからこそ、「ラスト・トレイン」はこんな発表のされ方をしたように思う。そして現代。90年代にどんな想像力が失われたのか、誰も答えがわからないままただ喪失の感覚だけを持って人々はさまよっているようである。

http://www.ne.jp/asahi/kawasemi/home/neko1234/neko1234.htm
「猫、1・2・3・4」オンラインテキスト
http://www.ne.jp/asahi/kawasemi/home/last_train/last_train.htm 
オンライン歌集「ラスト・トレイン」

愛の挨拶―歌集

愛の挨拶―歌集

猫、1・2・3・4―歌集 (1984年) (「かばん」叢書〈第1篇〉)

猫、1・2・3・4―歌集 (1984年) (「かばん」叢書〈第1篇〉)