トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその131・山田富士郎

 山田富士郎(やまだ・ふじろう)は1950年生まれ。立教大学文学部日本文学科卒。1985年に「未来」入会、岡井隆に師事。1987年「アビー・ロードを夢みて」で第33回角川短歌賞、1991年第1歌集「アビー・ロードを夢みて」で第35回現代歌人協会賞、2001年第2歌集「羚羊譚」で第6回寺山修司短歌賞を受けている。10代から詩を書き始め、20代半ばから藤田湘子主宰の「鷹」にて俳句を作っていたが、34歳のときに短歌に専念するようになったという。新潟県在住の歌人である。
 山田の第1歌集「アビー・ロードを夢みて」は穂村弘の「シンジケート」と同年の発行である。時代の空気なのか、山田にも口語や通俗的名詞を取り入れたライトヴァース的な歌が散見される。

  わかりつこないさと言つて涙ぐむJ・Jガールにブルースなんて


  悪意はもう時代遅れだ花柄の透明の傘街にふはふは


  空のまほらかがやきわたる雲の群千年くらゐは待つてみせるさ


  どんなふうにたとへてもいいたとへばだ職場の天井に吊すガラガラ


  ビートルズつて何なんだらうきよらかな朝のひかりに不意の欲情


  吾に相応ふふさふさの耳授けてよ寝てもさめても打楽器のなか


  今日午後のぼくの心の状態をそつと言はうか両性具有


  死体なんか入つてゐないのが残念だあけたつていいようちの冷蔵庫

 
  ぼくはきみをしばし照らして消えるんだ裸電球みたいにパチリ

 しかし軽い口語を使っていても、ニューウェーブ世代より10歳年長ゆえの苦みがある。冷笑的ではなくむしろ根拠のないポジティブさがあるにも関わらず、時代を見下ろしているような雰囲気がある。エロスや残酷さの只中にいてはしゃぐのではなく、もっとダウナーな感覚に支配されている。

  新宿駅西口コインロッカーの中のひとつは海の音する


  朝焼けのストーン・ヘンジ 歯みがきの紫蘇の葉の香の口にひろがる


  漂へる街のゆくへはわが知らぬ地下百尺の湧水にきけ


  死ににける人との逢ひはただ一度早朝野球の投手対打者

 
  持ち帰るTOKIOのくれし国電の切符一枚ほどの倫理を


  サーカスが今年も来たぞ 消火栓にワニをつなぎて楽しこの国


  男達は労働福祉会館にとまつてゐる泡立つごとき天のさみしさ


  英雄になれない永遠(とは)に階段につまづくことが一日の始め


  雪空をゆく旅客機の爆音のSPの針音に似てなつかしき


  骨髄に銀行がある! 思想には養老院があるといいのに

 山田のニューウェーブ世代との大きな違いは、都市社会に対する批判的視点だろう。都会で労働しながら考えている夢想は、突拍子が無いように見えて実はかなり生活に根差している。「歯みがきの紫蘇の葉の香」などに練りこまれている日常生活のリアルさを決して否定はしない。しかし消費社会のなかで人間同士がばらばらに引き離されていく時代を生きていくことへの不安ははっきりと表明されている。華やかに見える高度資本主義社会の行き着くところは、ワニをつなぎながらのサーカスでしかない。

  言葉への愛それのみに十月の海より冷えてたたかふわれは


  もろもろの小鳥のこゑを硝子器に盛りて出されし寸秒の夢

  
  うまごやのマリア墓場のジュリエットクローバーの花をぼくは環に編む


  さんさんと夜の海に降る雪見れば雪はわたつみの暗さを知らず


  兄妹のくちづけのごとやさしかるひかり降る墓地 手放しに泣く


  宇宙より降りし硝子のあさみどり見て求婚へ心傾く


  かかげ持つ傘に潮は匂ひつつやさしくほろべ十月の雨


  羽ばたきて空(くう)をおちゆくペンギンの水しぶきあぐるまでの矜持は


  笑顔をくれざとうくぢらの吹く潮につかのまやどる虹みたいのを


  時間です耳をたたんで眠りなさい象には象の悲しみがある

 最終的に山田が究極の美のかたちとして志向しているのは、大きな自然の中で小さな人間がひたすらに真向かう世界なのだろう。ときにライトな口語を用い、ときに厳しい社会批評眼も見せつけるのがこの歌人の特徴であるが、真骨頂といえるのは死に思いを馳せながら一瞬の夢のような生の輝きを描こうとする歌であると思う。ビートルズという高度経済成長期の舶来ポップカルチャーの象徴から始まって、戦後という時代を捉えながら山田の視野はどんどん縮小していく。そしてやがては「滅び」への視線に変わる。
 加藤治郎の評論集「TKO」(1996)には「さんさんと〜」の歌についての深く掘り下げた評が入っており、現代短歌文庫の「山田富士郎歌集」にも再録されている。「この、無垢な存在が滅んでゆく姿への哀惜の情が、この歌集において達成されている最上の理念であるように思われる。」という評は山田富士郎の短歌の本質を鋭く言い当てているように思える。無垢なものは、無垢であるがゆえに滅ばずにはいられない。何にも汚れないものが都市の中でスポイルされてゆくのを見届けている視線が、独特の陰影と苦みとなって感じられるのだろう。

山田富士郎歌集 (現代短歌文庫 (57))

山田富士郎歌集 (現代短歌文庫 (57))

短歌と自由

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