トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその96・甲村秀雄

 甲村秀雄は1941年生まれ。國學院大學大学院日本文学研究科修士課程修了。香川進と岡野弘彦に師事。「地中海」を経て現在は「ナイル」の代表。
 第1歌集「棘よ、憎まれてなほ」は1978年に出版。この歌集が収められたアンソロジー「青春歌のかがやき 第一歌集の世界」によると、大学入学前から短歌にめざめて「青虹」にて出発し、短歌を学ぶべく國學院に入学したらしい。その一方で自らが執筆したエッセイでは麻雀に熱中して麻雀評論家になりかけたというユニークなエピソードが載っている。優等生的ではなく、無頼派歌人の演出をしたいという意図があったのだろうか。

  しめやかに聞く耳もたぬ金雀枝のうたはずなれる訳はあるべし

  青春のある日敗れし悲しみの具象の如く空に雲うく

  ゲーテの詩くりかへし丘を越えきたり ふりかへること許されざりて

  沈黙のままに別れの時にして断崖つちをこぼすことなし

  回帰への思ひのゆゑに冬の窓とほして涯のもの見むとする

  白の貝悲の部屋の外落下する 遠景のわが世界は燃ゆる

 どこか影のある青春の歌が並ぶ。「地中海」は前田夕暮の流れを汲み小野茂樹も所属していた結社であり、やわらかな青春詠と親和性がある。甲村の短歌もまた、硬質なように見えて底には甘い叙情の流れた世界を構成している。「断崖」「落下」といった「果て」「終わり」のイメージが頻出するのも特徴である。自分の行く先に「断崖」があるという思いを抱いていたのだろう。

  血によりて描かれたるは国の旗 慕ひよる者に誓ひはなくて

  新しき党たててゆく。胸ひらき黒田寛一 愛に刺されよ

  革命的共産主義同盟と名付けし黒田の世界にくる 冬
  七月以前 革命の声高かりし学連の旗、ゆれ裏がへり

  炎は、胃を抜け腕を伝ひつつ やがて左の指より犯す

  むなしさに泪かはきて繰り返す、絶叫、闇の底より放つ

 甲村の背景にあるのは学生運動、左翼運動らしい。黒田寛一革マル派の指導者で、歌人でもあった。こういった学生運動を扱った歌には、句読点や字空けを利用し、釈迢空岡野弘彦の流れを汲んだスタイルを取り入れている。揺らいでいくリズムと拡散していくイメージがこの文体へとつながっているように思う。釈や岡野と異なり、燃えたぎるイメージが火の粉のように散らばっていく感覚が、この文体から受け取れる。

  わたくしの左手にある白の貝 開かれしとき海に音なし

  守らむとするにふさはしき概念の具象とともに土地を出づる 日

  そのやうに日記に綴れ。青春の斜面を滑る橇による罪

  絡みあふ一人とひとりあくまでも夕焼を待ちてゐると呟く

  底深くゐて泡を吐く魚白し水槽に水満たされてゐて

  黒板のあれば安らぐ教室の窓は秋へと放たれゐたる

  置かれたるたとへば金の時計さへ夕辺は翳る深きかげりに
 歌集にたびたび出てくる「貝」に込められている意味は古い記憶であろうか。青春の先にあるものは断崖、そして果て。「明日がない」というひりひりするような感傷に満ちている。甲村は歌集の跋に〈ぼく自身の叫びの歌集〉と綴っていたそうだ。確かにこれは「叫び」だろう。燃えるような政治の季節や甘やかな青春の季節を越えて、その先にある自分の姿を模索しようとする必死な叫び。それが男っぽい切なさをたたえた叙情と混じり合っている。