柚木圭也は1964年生まれ。1986年に「短歌人」入会。1993年に「フリー」で第38回短歌人新人賞、1999年に「心音」で第44回短歌人賞を受賞し、「短歌人」のホープと目されていたが、2001年より長く休詠状態にあった。2008年に活動再開し、第1歌集「心音(ノイズ)」を刊行、第15回日本歌人クラブ賞を受賞した。
私は柚木が心臓の病気を抱えているという情報をあらかじめ持っていたため、「心音」というタイトルはそれに関係があるのかと思ったが、「心音」が発表された時点ではまだ病気になる前であり関係はなかったようだ。しかし生々しい生の感覚が刻まれた歌が多い。
メロンシャーベット抔ひをはりて咥(くは)へゐるメロンの味の残る木の匙
霧雨に追はれて立てばジーンズの膝うへぬるく湿りてゐたり
茶髪なれど海に行きつく日のあらむ排水溝に髪はながして
木の瘤に指触れながらとつとつとながらふ生の在処(ありか)をおもふ
バンドエイド剥がしたるのち粘り残る皮膚にさやりて夏の真闇は
昆虫図鑑食む夢を見しゆふべより舌にそよげる蝸牛(くわぎう)の突起
覇王あらざる現し世の闇 ぶよぶよの葡萄果肉のやうな歯ざはり
ゆふべ食みしあんパンの餡の歯ぐきより滲み出づること“生”を味はふ
言ひ訳はだうでもいいけど椎茸の傘裏のこのひだひだがいや
これらの歌に満ちているのは、日常にさやかに潜むグロテスクな感触である。生ぬるくてぶよぶよした「生」の感覚。柚木の描く世界にはビビッドで強烈なものは一切出てこない。つねに中間色を保ち、日常に溶け込みながらじわじわと身体を侵食してくる。栞文の穂村弘の解説は、飲食の歌に独特の熱っぽさがあり、終盤に近づくほど食べられないものを口にするイメージが増殖していることに着目している。食という生の根幹をなす行為の中に潜んでいるグロテスクさにフォーカスをあわせたのだろう。
聖誕祭過(よ)ぎりてのちは密かなる五十嵐肛門科のたたずまひ
口に咥えし金魚呑みこみゆくまでを見届けてゐつ歯磨きしながら
フルーツゼリーすくひつつ見ゆ大山勤ダンススクールに動きゐる影
〈生コン〉といふ字が見えてそれよりは空緊まりゆく冬のまぢかに
啜らむと口を寄せゆくコーヒーに鼻のやうなるものは映りぬ
酢のごとき夕闇街裏より湧きて午睡ののちの陽を食み尽くす
土葬されし祖母(おほはは)に蟲らおごめきて食み尽くすまでのやさしき時間
先程のは身体に直接触れるものを通じて身体が侵食されてゆくイメージだったが、これらの歌は目に映る「世界」そのものが自らの身体を侵食していくイメージである。「食み尽くす」という言葉がそのイメージをもっとも端的に象徴しているだろう。世界の中にあるありふれた一風景のなかのわずかな歪みが徐々に肥大化してゆき、やがて〈私〉の身体を蝕んでゆく。しかしそれが決して病的なイメージではなく、当たり前のことのようにさらっと流されてゆく。そのことがさらなる不安と奇妙な感触を残すのである。
宇宙塵降りつむ荒野にたたずみて裸足のぼくらなにを視てゐる
ひら仮名で“やくそく”と書くときやさしくて日々ことごとくかがやく余白
終日を花の雨降るこの街をつひにやさしきてのひらとして
記憶と記憶つなぐ扉に青柿の思ひ出ありてつひに熟さぬ
ガーゼあてて血の吸はれゆく手のひらの数秒を春の時間といひて
転生が叶ふのならばフィリックス・ザ・キャットとなりて下敷きのうへ
ただひたすらこの世を生きて擦れちがふ さくらの時間とぼくの時間と
風に樹がはためく ぼくがここに在るすべてとしてのきみのてのひら
こういった青春性の高いきらきらした歌もある。しかし青春歌にもなお強い自己意識が露出していることがわかる。後書きには心臓病を患ったときの思いがこう綴られている。「重たすぎる自我が、別の生き物として心臓の上に居座ってしまったみたい。」これもまた、身体が「自我」という「他者」に侵食されていったかたちなのかもしれない。「心音」という歌集全体を覆っている「侵食」のイメージ。それが、リアリズムとも幻想的ともいえない不思議で奇妙な味わいを生み出している。