三井修(みつい・おさむ)は1948年生まれ。東京外国語大学アラビア語学科卒業。「長風」を経て現在は「塔」所属。1993年、歌集「砂の詩学」で第37回現代歌人協会賞。2004年に、歌集「風紋の島」で第31回日本歌人クラブ賞を受賞している。
思えば京都に住んでいた頃、札幌よりもはるかに四季がきっぱり分かれている気候に触れ、日本人の季節感覚は京都が基準になっていることを肌にしみて感じたものである。場所が違えば季節感覚も当然大きく変わってくる。そうなれば自然詠のあり方も変質する。この国際化の時代、外国に住みながら短歌や俳句を作っている人はたくさんいる。三井もその一人であった。そして彼の場合、商社マンとして赴任した地域は雨の降らない中東の砂漠地帯だったのである。
港町ゆくトラックが落したる鱈一本の腸(わた)まで真冬
追憶に数限りなく蛍炎えうつつに戻れば砂の飛ぶ音
眠らざる子に妻が読む日本の童話はいつも雪降るばかり
ハンドルの半ばを砂に埋めたる自転車があり肋のごとくに
太陽が地平に揺るる一瞬をなべての砂が立ち上がりたり
「歌詠みに砂漠は合はぬ」簡潔に書かれし文にひとひこだわる
日本の気候を基準にして成立している短歌のリアリズムと、日本からはかけ離れた砂漠気候とのギャップに悩みながら歌を作っていたことがわかる。中東に赴任したのは本人の意志ではなく仕事の関係でしかない。雪も雨も降らない、降るのは砂だけ。そんな土地だからこそ詠めるものもあるのではないかという真剣な苦悩が、「砂」に満ちた独自の世界観を構成しはじめた。
火を食みてみよとぞ我に語りかく柵の内なる雄(お)の牛の目は
いまだ子は棺に花零(ふ)るかなしみを知らずに夏の潮位見ている
今日ひと日いくつ扉をくぐりしか 木の、硝子の、あるいは心の
片燃ゆる雲の下来て不意に思うはるけき国の洪水伝説
われを容れぬ日本に帰心起こらねどいま紅葉の劇(はげ)しかるべし
注がれてグラスの底の湾曲に沿いてワインは一瞬舞えり
中東の地はメソポタミア文明以来の古い歴史を持ち、そして現代では宗教対立と石油利権の絡む複雑な土地となっている。砂に埋もれた味気ない土地であるという日本人の勝手なイメージをぶち壊すために、中東の神話や伝説などにも題をとり、普遍ともいえる人間的な感情に迫る挑戦を続けてきた。その背景には自分の育った北陸の地への望郷を常に付きまとわせてきた。
電源を落としし刹那のディスプレー白き魚一尾沈みゆきたり
夕焼けに照る切株のような悲(ひ)が不意に兆せり人を抱けば
アステカの王の悔しみ告げにくる使者ならめ今年最初の燕
キリン舎にキリンは帰り夕暮れの泥濘に黒きキリンの足跡
かく一途に、一途に黄葉(きいば)を散らしつつ銀杏樹は静けき滅びのさ中
いつかわが柩となるべき幹などもこの月光に照らされいるべし
はつなつの海を帆走する艇のかかるまぶしさを子は生きている
故郷に降る雪と、砂漠に降る砂。その二つを「静かに全てを埋め尽くしてゆく」というイメージでもってつないでいる。そして、世界には同様に音もなく静かに静かに滅びへと向かってゆくものたちが満ちていることを描き出そうとしている。ディスプレーにも、キリン舎にも、銀杏樹にも。それは人間程度にはとても太刀打ちできない、スケールの大きな時の流れを感じさせる。そしてそのことが逆説的に、人間の生涯なんて時間が止まっているにも等しいくらいであることの表明となっている。
三井は中東を決して旅行者の視点では見ない。あくまでそこに暮らす生活者の視点を忘れまいとする。定点観測して世界を見つめようとすればするほど、歴史や栄枯盛衰といった巨大なイメージへとつながっていく。日本の気候でしか描けない世界があるように、中東の気候でしか描けない世界もある。そのことをしっかりと認識している三井の歌はいつも誠実であり、魅力的だ。
- 作者: 三井修
- 出版社/メーカー: 砂子屋書房
- 発売日: 2002/06
- メディア: 単行本
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