トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその171・吉岡生夫

 吉岡生夫(よしおか・いくお)は1951年生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒業。1970年「短歌人」入会。第1歌集「草食獣」は1979年に刊行。以後、「続 草食獣」「勇怯篇 草食獣・その3」など、歌集に毎回「草食獣」と名付けている。それくらい「草食獣」というのは本人のパーソナリティを象徴する語なのである。

  ステージの父の遺影のまつられてあるところまで行かねばならず


  どうにでもなれと屋台のラーメンの湯気よ 涙が出るではないか


  梯子車のはしごがのびてゆくまでをみてをりひとら口あけながら


  無表情に立つ駅員は杭のごとしそこより分かれひと流れゆく


  ワン・タッチの傘をひろげてゆかむかな男の花道には遠けれど


  ふくらませすぎてわれたる風船のパンツのごときを床に拾ひぬ

 この「草食獣」は他者を傷つけない平和的な人間という寓意があるが、あとがきによるともっと複雑な背景がある。「加えて、自らの手を血で汚すことのなかった潔癖さと引き換えに、なんら、この現実世界とかかわりをもたなかったのだ、という、いわば緩衝地帯に身をおいた青春のくやしさを記念して、とでもいっておいた方が妥当なようである。」。この「緩衝地帯」が示す意味は、どうやら学生運動がさかんだった青春期と、警察官として殉死した父との関係性にヒントがあるようだ。運動家である友人に父を権力の犬呼ばわりされたことへの怒りがあったのだ。父を思うあまりに反権力の側にも権力の側にも立てなかった。そしてそのような中途半端な立場のまま生きるためには、吉岡の世代では現実から目を逸らし続けるしかなかったようだ。それが、永遠の心の傷となっている。

  切り株にわが脱ぎ捨てし制服が光あつめて讃歌のごとし


  おもしろいことなどないか教室の窓より放つ紙の飛行機


  はじめてのくちづけをへてあふぐときどこかでいつかみた空がある


  浴衣きてうつくしかりし日のことをわすれず 忘れたしとつたへよ


  さりげなくコップに花の挿してある部屋あかるくてきみ娶りたり

 
  一人の女の運命を狂はせしことさへなくてバスに揺らるる


  さすたけのきみがつまみし冠の草をのぞきし苺の部分
  

 また、こういった澄んだ青春性の高い歌も少なくない。吉岡の相聞歌は淡い光に包まれたような感触を残すが、「忘れる」という言葉がキータームになっているのも関係があるのだろう。父の死という永遠のトラウマを抱え、「忘れない」ことへの強迫観念があるようにすら思える。吉岡の歌には「忘れられない」ことへの影があると同時に、「忘れる」こともひとつの希望のかたちではないかという示唆があるように思う。新たな世界に出会い直すための手段としての、忘却。

  無頼にもなりきれざれば右の肘するどく曲げて突く赤き玉


  世の中に背中むけるといふ意味よ浮浪者ねむれば胎児のかたち
  

  また負けてきたる力士は名を変へて戦はすのみ紙相撲ゆゑ


  サブマリン山田久志のあふぎみる球のゆくへも大阪の空


  ふきさらしの下りホームにこの夜ふけ人畜無害の身を立たしむる


  もどりきてだれもをらねばはじめたるファミコンなれど子らがのぞきぬ


  ペコちやんを遠くみてゐしポコちやんの暗く切なき少年の季

 「無頼になれない」というのは格好いい人間になれないことへの絶望ばかりではない。世界に対してしっかりと責任を果たしたいのだという意思表明でもある。「誰も傷つけない」「人畜無害」という自己像が、他者との関係を持つことに臆病であるだけにすぎないと気付いている。だからこそ吉岡はユーモアでもって世界に対峙し、自らのトラウマを解こうとし続けている。権力/反権力の対立軸は現代社会ではもはや弱体化した。「緩衝地帯」の住人であり続けるからこそ、自分に果たせる役割がある。そう信じることにより、「草食獣」はついに優しく誇り高き動物になれるのだろう。

吉岡生夫集 (セレクション歌人)

吉岡生夫集 (セレクション歌人)