中川佐和子(なかがわ・さわこ)は1954年生まれ。早稲田大学第一文学部日本文学科卒業。1984年に「未来」に入会し、河野愛子に師事。1992年に「夏木立」で第38回角川短歌賞、2000年「河野愛子論」で第10回河野愛子賞を受賞。歌集に「海に向く椅子」「卓上の時間」「朱砂色の歳月」「霧笛橋」がある。
中川佐和子を有名にしたのは朝日歌壇に投稿したこの一首である。
なぜ銃で兵士が人を撃つのかと子が問う何が起こるのか見よ
これは1989年の天安門事件を題材とした歌であるが、メディアを通じて世界中の悲劇が届けられる現代社会全体に普遍化しうる言葉である。理屈や因果関係を論じるのではなく、まず何よりも眼前の現実を直視し、受け入れること。この一首に限らず、中川の歌はそうしたメッセージであふれている。
高層の団地の廊に灯がともる等間隔に住みおり人は
半世紀青酸カリを捨てざりし父に兵士の日が帯電す
学校へどの子どの子も背に黒いリュックを負えり仲間のしるし
学校が凶器になるということをひと度(たび)言いて百度(ももたび)かなし
かなしみはひとりのものにすぎぬから少し陽気な傘さしてゆく
この今も対人地雷踏まれおらんいのちに遠きも近きもあらず
「目を逸らさずに現実を見る」というテーマ上、社会詠が多い傾向にある。しかし目の前に見えている現実がすなわち真実だとは思っていないように感じられる。目には見えない部分にこそ真実があるかもしれない。しかし、だからこそ見える部分をしっかりと捉えなくてはならない。そう考えているように思える。友人の子どもの自殺をテーマにした「瑠璃玉薊」など、リアルな身辺に取材したものも多い。
かつてわれ雪を青しと思いしがひとりの他者へ傾くこころ
雨戸繰るわれを見下ろす鳩がいる身の芯までが冬のしののめ
フロアーを toe(トー)にて押して立つことの一本の錐ひえびえとせり
うしろからプリマの人差し指が来てわれの背中の位置を直せり
帰り来て耳のうしろに汗垂るる君を悍馬のごとく思えり
暮れがたはことにさみしく遥かなる気球はロープのかぎりに浮かぶ
海の藍うけとめかねて歩みいる人間というくらき実ひとつ
板のうえを走るライトの鋭さが好きだったんだ幕のあがって
社会詠ばかりではない。恋の歌、バレエの歌もある。バレエは中川にとって青春そのものであったのか、子どもを詠んだ歌のあとであっても、バレエを詠み込むと突然雰囲気が若返る。しかしそうした青春の歌であっても、現実をしっかりと目で捉えようという意志が働いているのは変わっていないように思う。
ただ、冒頭の天安門事件の歌が子どもに語りかけているという体になっているように、中川の歌は基本的に他者との対話を希求している。前に広がる現実世界をいつも他者と共有しようとしている。燃えたぎるような派手な表現はなく、抑制の効いた理性的な歌風である。しかし、その奥には他人とわかりあうことへの強い情念が見え隠れしているようにも感じられるのである。
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