トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその146・歌崎功恵

 歌崎功恵(うたざき・のりえ)は2003年に「青遠」に入会、2006年に「未来」に入会し加藤治郎に師事した。「橋を越えて」で第1回石川啄木賞を受賞し、2010年に第1歌集「走れウサギ」を出版した。
 歌崎は生命保険の営業の管理職として働く。「労働」というものへの意識がかなり明確であり、実際その現場を描いた歌が多い。

  私は働くために生まれきて汗堰きとめる太き眉持つ


  除籍謄本の斜めの線の細さにて消し得ぬ過去を語りて止まず


  死は橋を渡るごとしと思うときわれは美しき橋の設計者とならん


  契約の手続きを終ゆる指先に残る朱肉の流紋かなし


  「欠点を教えて下さいお守りにします」と少女は草笛を噛む


  一通の給付書類に封をする救済となる明日をおもいつ

 死に肉薄する仕事。それゆえに忌み嫌われることもある。しかしその仕事に誇りを持って働いていることが伝わるような歌が多く、決して暗いものではない。一首目は音数的に「私」を「わたくし」と読ませるのだろう。パブリックなイメージの強い「わたくし」という一人称をあえて使うことで、「公」の意識を常に抱えたまま生きている作者像が浮かぶ。「走れウサギ」という歌集のタイトルはジョン・アップダイクの小説からとったものだが、「ウサギ」と「ウタザキ」の字面の相似もおそらくはかかっている。「走れウタザキ」なのだろう。姓に重きを置くところに、作者の高い社会意識が見て取れる。
 こうした職業詠の一方で、受賞作「橋を越えて」をはじめとした肉感的な相聞・性愛の歌も目立つ。

  また一つ橋を越えてと君が言う夜更けの電話に自慰をさらして


  「踏め」と言われ畏れつつふむ漆黒のヒールで月に降り立つように


  あと幾度繋がったなら私は望むかたちになれるのですか


  わたくしは日ごと日ごとに削られるあなたのための鍵穴として


  「思い出が消えないよ」って苦しみは空の上にもあるのだろうか


  交われぬくせにお互いしか駄目で終着駅までいくさ 線路は


  触れ合った肩と肩とが繋がってもう片方は羽になるゆめ


  私は張りつめた弦、強く弾くそして緩める君のゆびさき

 歌崎の相聞歌には一定の志向がある。「繋がること」「緩められること」「開放されること」への希求が強いのである。これは逆説的に「個」として恋人と対峙するしかできないと自覚しているからなのかもしれない。「橋」のメタファーが「死」と「性」の双方においてあらわれることも特徴的である。

  工場の等間隔の照明が暮れゆく海に雪崩れ揺れ居り


  フォアグラを模して体内に育てゆく脂肪肝の果て知らぬ悪あり


  ペーパーナイフを使わず開く封筒は傷口のよう青く光れり


  道標の夏雲がゆく背中だけ見せては消える塩辛蜻蛉


  空港に向かうカフェにて思いやるサンドイッチのハムのストレス


  茜雲たなびく朝よくきやかに生きそこなった世界が覗く


  「また雪が降りだしたよ」はあいたいと変換されて耳に響いた

 叙景の歌や高度な技巧を凝らした歌も印象的だ。都市風景の描写にとりわけ光るものがある。短歌を読んでいて思うのは、歌崎は公私の区別をはっきりとつけることができないタイプで、さらに公の部分が私をかなり侵食しているのだろうということだ。常に社会の中の個としてしか自己を規定できない。これはかなり精神的に苦しいことだと思う。しかし、それゆえに他者と繋がることのできる愛の歓びを誰よりも知っているのかもしれない。

走れウサギ―歌集

走れウサギ―歌集