桝屋善成(ますや・よしなり)は「未来」所属で岡井隆に師事。2000年度の未来年間賞を受賞し、2002年に第1歌集「声の伽藍」を出版した。岡井隆の解説によるとおそらく1964年生まれで、歌集が出た時点では三重県で郵便局員をしていたようだ。
作風は端正な文語定型であるが、独特の哀愁と男くささがある。男歌特有の情けなさよりはストイックさを全面に押し出していて、何となく現代の武士といった雰囲気だ。
パン選ぶ君のすがたを玻璃越しに見つめるときのわれは行人
しゆんしゆんと薬罐の鳴れるゆふつかた人を忘れることの難しも
一身にまとへる霜があさかげにしづくしてゆく車のはだへ
土手脇に首のねぢれた自転車がこゑを失ひ捨てられてあり
妻あての不在配達通知書をゆふばえ冴ゆるポストゆ出しぬ
なかぞらに声の伽藍を建てむとし幾千の蝉啼きせめぎあふ
油槽車の追ひ越せしのち雲生るる場所かとおもふ岬に着けり
桝屋の短歌のキーワードは「廃」ではないかと思う。廃されてしまったものへ寄せる憐憫が、まさに退廃的に表現される。全体的にグレースケールのかかったイメージだ。しかし幻想的ということはなく、現実に寄り添いながら世界に潜む「廃」を見つけ出そうとする作風である。
望の夜に親を揶揄する言の葉は廃星の名を喚べるがごとし
まがごとのさきぶれとして残雪は廃車の下に横たはりたり
不燃物を分別したのりおほどかな向日葵の影またぎ越えゆく
あまりにもはだかの空気が包むからぼくらは狂ふ手前まで来た
蒼然ともちづきの照る夜半なれば首都の電車のかがよふばかり
甲斐なくも書(ふみ)をだらだら送るときファックスといふ器官のさむし
むらさきに重機は濡れて佇めり語気をおさへる人のごとくに
遠景の山なみ近景のクレーン/夢のままにて朽ちてゆくもの
疾駆とふことば悲しく聞くときにわれのこぶらは秋雨浴びる
「廃」は「狂」と密接に関係しており、また都市とも深く結びついている。都市の一風景のなかから巧みに「廃」の気配を見つけ出す視点のシャープさが印象的だ。そして「廃」のイメージは自分自身へと投影されているのである。
仕舞ひ湯のどこかせつなき温さもて君の心をつつみたく思ふ
匂ひたつ藤のひと房触れがたく夜のをみな思はしめたる
恋情の今し生(あ)れむかひともとのしろき木槿の空に真向かふ
夕虹の成りゆくまでの音を聞きまなさきふかくくだる坂ゆく
プール帰りに化粧(けはひ)落して我が部屋を訪ひたる君の額のさざなみ
ふたりして坂道のぼる宵なれば蛍を水にさそふこゑする
雨傘をすこし斜めにさしながら口づけすればうたげの果てん
いとけなく惑ひて梨をえらびをるきみはひととき秋の風なり
その一方でこうした相聞歌も印象に残る。桝屋の相聞歌は決して甘やかではなく苦みばしった味わいすらあるが、人生のもっとも輝かしい時間を鋭く切り取っているように感じられる。硬質ながらも決してぶっきらぼうでも自虐的にもならない愛の表現。これはなかなか魅力的な世界観である。