福井まゆみ(ふくい・まゆみ)は1988年に「高知歌人」に入会。その後1990年「塔」に移り、1995年より「海風」にも所属している。桐朋学園大学ピアノ科を卒業したピアニストでもある。2003年に第1歌集「熱情ソナタ(アパッショナータ)」を刊行している。
経歴の関係もあり、音楽を扱った短歌が多く見られる。
五線譜を海図にたとへし人あれば暗譜で弾くをはつか悲しむ
二十歳(はたち)の日憎みしショパンの感傷を少し解して中年となる
午後弾きしフーガの調性記すのみ十年日記をゆつくりと閉づ
かつてピアノを弾きし両手と見ぬかれて幼子のごと後ろに隠す
一心に連弾をする姉妹あり教則本は姉がめくりて
トレーラーよりゆつくり降りるわが楽器雨にぬれつつ出迎へてをり
四肢折りて死ぬ鹿のごと諦めしピアノが残るわたくしの部屋
「振り返ってみると、私の十代は挫折の繰り返しだったと思う。」とあとがきには綴られている。高校から音楽科に通うも、18歳の時には腱鞘炎にかかってしまったと言う。音楽の道を断念したことを示唆する歌がところどころに見られ、福井の心に深いくさびとして残っているようだ。演奏を止めても楽器や楽譜を捨てられないあたりには、湿っぽい未練よりも人間としての業のようなものを感じる。
子宮癌も自死も逝去の二文字なり名簿の中には魔が潜みをり
子を産みて死ぬる命の簡明さ錆鮎いつぴき落ちてゆくみづ
確実にピルは効果を発揮して体温はつかにのぼりてぬくし
焼き上がり引き出されたる祖母の骨医者の目となり父がほめをり
低量ピル解禁の報語りつつやや焦げすぎしトーストを食む
もうえごの青実も落ちてしまひたり四度孕みて二人を産みき
ほの暗き山かげの道死期近き猫に与へむ氷菓さげゆく
排卵のありて性欲のぼりゆくこの単純もあとわづかなり
面白くなき絵と思ひて通り過ぐ「受胎告知」に人群れてをり
女性の生理や出産に関わる歌が多いのも特徴であるが、それらの歌が「死」への意識と同直線上でつながっている。歌集はまるで自伝のように作者自身の履歴が伝わる構造をとっており、医師の家庭に生まれたこと、幼少時はともに音楽に励み後に医学の道を選んだ妹が病気で早逝したことなどが綴られている。また、自らも眼病や不眠を患っている様子も描かれる。本来新しい命が育まれるはずのものである妊娠というテーマが、福井の手にかかると全て死の歌のように見えてくる。単に描写が生々しいからではない。生と死がひと繋ぎであることを徹底的に教えられて育ってきたのだろう。
ドラゴンを切り倒しゆくデューラーの騎士を恋ひたる昏き少女期
使ひこみしルージュはすべて尖りゐてわが性格をひそやかにいふ
一つづつあきらめ手放す事増して更年期(メノポーズ)予備軍に我も入りゆく
三歳のわれは泣かざりいぢわるな波に盗られし小さなボート
夕空に飛行機雲は育ちゆき残照のなかしろがねに輝(て)る
もつれ飛ぶ二匹の蝶はなまぐさく立ち昏みする炎昼の道
「喪うこと」「諦めること」が福井の短歌の大きなテーマになっているようだ。子供や夫を詠んだ歌などはほのぼのした歌と解釈できるものも多い。しかしどうしても暗い陰に覆われた風景のように見えてきてしまう。相聞歌は非常に少なく(過去の思い出というかたちのものであっても)、歌に虚構性がほぼ無い歌人といってよさそうだ。何かを諦めて生きて来なくてはならなかった人には響いてくるものの多い歌人かもしれない。写実の歌の冴えも魅力的である。