賀村順治は1945年生まれ。60年代から70年代にかけて菱川善夫を中心として活動していた北海道青年歌人会のメンバーの一人で、1976年に歌集「狼の歌」を刊行している。この北海道青年歌人会のメンバーは、ほかに松川洋子や西勝洋一がいる。70年代の里標となるべく編まれた「現代短歌'70」という本の巻頭に載せられた新鋭歌人特集にも、三枝昂之や高野公彦と並んで賀村が登場しているそうだ。歌集の奥附では青森県在住となっているが、現在は北海道在住らしい。
「狼の歌」を一読して感じたものは、匂い立つような熱気である。
兄の眼が夜毎枯れると村をふれ俺は二十歳で故里すてた
その男のうしろの白い終戦をつき抜けてくる口笛だけが
あかり点るこころ駆立て行く旅のどれも他国に咲く沈丁花
冬の樹に揺れて全裸の兄の死は夏も真冬の緑の中へ
若者と呼ばれることの哀しみの今日より明日は冷めゆくものを
殺してくれ今宵切なりしものの叫び終焉の朱にぶっささっている
たった一人の怒りすむまで刈れ麦はあわれ芽吹きし青のつかの間
賀村が舞台とするのは「集落」と呼びたくなるような辺境にある、かつて捨てた故郷。そして兄の自殺というテーマが繰り返し語られる。この点は、紀州熊野の被差別部落を舞台とし、同じく兄の自殺をトラウマに抱える中上健次と共通する。なおこの二人はほぼ同時期に世に出ており(中上が「岬」で芥川賞を受賞したのは「狼の歌」出版と同年である)、中上からの影響があったかどうかはよくわからない。
終戦の年に生まれ、戦争を知らないながらも身の内に濃く戦争を留めていることへの怒り憎しみが繰り返され続ける。それが反戦運動などに向かうのではなく、むしろ故郷への複雑な感情へと転化する。そしてそれはやがてナショナリティへの意識へと届いてゆく。
黙深く尖る視線を武器とする見えるか汝にアフリカの眼が
都市が覇者の面立ならば今も遙か逃げのびてくるニグロの末裔
ジャングルも熱砂も海も捨ててゆくだが素裸のニグロの怒り
うらみがましき他のニグロの群は知らず闘うはひとりのひとりのこころ
日本人ニグロ蝙蝠蝙蝠の黒さが俺の血を走らせる
はじまりも終りもあらぬ地上にはこんなに細いこな雪が降る
俺は帰れ胸の奥処の泥の温みその肉声の端緒の祖国(くに)へ
「立ちたき抒情」という章から始まる長歌から、この歌集に潜む「狼」が真に牙を剥き始める。ニグロ(黒人)にひたすらに憧れ、それになれないイエローの自分を嘆き続けるという歌群である。なぜ賀村は黒人にこれほどの熱い憧憬を抱いたのか。それは、彼ら黒人には怒るべき正当な理由があったからだと思う。虐げられ続けてきた歴史ゆえに、武器をとって熱く蜂起しうる理由を持てた。賀村にはそれがなかった。戦争で色んなものを失った責任を特定の他者に背負わせることができなかった。
近代に北海道へ渡った移民は、程度の差こそあれ皆それまで背負ってきたものをリセットしてやってきた。リセットした責任は自ら背負ってだ。賀村の叫ぶ帰るべき祖国とは、未開拓の原野。闘争すべき理由をあらかじめ消失したところから、賀村の出奔は始まった。
まゆ糸を吐きつつまゆに籠りたる蚕よ外はまた雪となる
鳴きながら落ちる鳥あり俺自身暗闇に過ぎぬこの夜があり
だが俺のひとつの夢だ夜の樹々の嘲笑を背に受けいる時も
もっと赤い血潮に濡れて泳がなんまぶたに透けるものは血の色
または逃げて父とならんか夕蜻蛉ひとり息子をやさしみながら
戦場へ行く早鐘のランナーの背中に涙あふれていたり
夏シャツの胸をはだけて群に在るここを射よあからさまなる胸を
その一方で、こういった熱さをはらみながらも抒情性をたたえた歌も多い。怒る理由を喪失したことへの怒り。その先には、帰る場所を失った孤独な男の悲しみが貼りついている。