長尾幹也は1957年生まれ。滋賀大学経済短期大学卒業。結社に所属せず朝日新聞の歌壇に長年投稿を続け、1993年に無所属のまま第1歌集「月曜の朝」を出版した。同年に「青幡」に入会。1994年には朝日歌壇賞を受賞した。
短歌におけるプロフェッショナルとアマチュアの違いは何かというのは非常に難しい問題である。収入や職業性といった面ではかることができないからである。そのため乱暴に言ってしまうと、「選歌」という役割を果たすことのできる歌人がプロフェッショナルということになってしまう。プロ歌人の仕事は、いい作品を作ることではなく他人の作品からいいものを選び出すことに尽きてしまう。今回取り上げる長尾幹也という歌人は、歌集を出してもなお新聞歌壇に投稿し続けている稀有な存在として知られている。いってみればアマチュア歌人なのかもしれない。だがただのアマチュアではなく、アマチュアを極めようとしている不思議な歌人ともいえる。
セールスにわが踏み入るを拒むごとこの町並は昼を静もる
実績のグラフは壁に掲示され剥き出しとなる我の敗北
新しき人生得たる錯覚に帰路は弾めり求人誌持ちて
小刻みに覚めては眠り引き延ばす日曜は淡き復讐のとき
会社での俺が俺ではないならば一生(ひとよ)の大半俺でない俺
行く先がもう丸見えのあみだくじ三十五歳の朝を迎えつ
描かれているのはサラリーマン、とりわけセールスマンとしての生活である。シンプルでわかりやすい修辞とペーソスの世界。こういった世界観はときにサラリーマン川柳と隣接しているとみられ、あまりまともに文芸として取り合われなかったりするかもしれない。しかし長尾の歌を単なる「サラリーマン短歌」としていないのは修辞そのものの高度さゆえであろう。そしてまた非常に危ういバランスを保っている修辞でもある。
家一軒所持せむ夢に落着きぬ青春過ぎし我の野心は
辛抱は最後に勝つと部下に説く身にしみてわが嘘と知れるを
決定せし上役よりも憎しみは命令下す我にそそがる
スマートな職を探すと部下去りぬひらがな多き辞表残して
支店ひとつ潰せし我に降る視線切っ先くぐるごとき出社よ
同僚の議論聞きつつ居酒屋に仕事愛さぬ己れが寂し
長尾はセールスマンといっても広告代理店の営業であったらしい。それならば基本的にBtoBで、一般家庭にセールスをしに行くことはまずなかったはずだ。おそらくこの「セールスマン」というキャラクターは、自ら大衆の象徴を演じようとした一種の仮構である。またセールスマンだけではなくリストラを担当する部署にもついていたらしく、他者の人生を駒として扱わねばならない苦しみが詩情として描かれている。
突然の雪に惑いて鳩一羽白夜と化せる庭をさまよう
君は君の道標に沿いて歩むゆえ今この距離を友情と呼ぶ
酔い人の吐物に新聞かぶせつつこの駅員の静かなる顔
学生の群れを見送る春の街いつ壊れしか我の地球儀
混沌の日々に疲れて見るテレビ寅さんはまた旅に出てゆく
入日光満つる電車に人々は怒りの貌のごとく染まるも
外人の力士は誰も寂し気な顔に塩撒く春の暮れどき
会社とは檻であり、自分に残された人生はもはや一本道。決まりきった一日を毎日繰り返していくしかない、という諦念がクリシェのようにひたすら歌われ続ける。それだけだとありがちで単調になってしまいそうなところだが、長尾は他者の顔をしっかりと見据えて描くことで歌に刺激と歪みを与えている。自分の人生とまったく関わりのない他者にも確かに人生がある。そんな当たり前のことすら忘れられているのが現代ではないか、という思いがつねに付きまとっている。
第1歌集は歌にも出てくるように「三十五歳」の歌である。現代の三十五歳で、将来がしっかり固まってあとは同じ毎日を繰り返すだけでいいという人生を得られた人は相当幸福な部類にあると思う。幸福の基準や人生の意義は時代状況によってたやすく変わってしまう。しかし時代が流れ社会が変わっても、歌を詠み続けて投稿を続けることで「平凡なサラリーマン」という〈私〉の姿は認知されてゆく。前述のようにおそらくは実際にしたことはないはずの一般家庭へのセールスを描いてみたりするフィクション性は、知識人となることを拒否し大衆の側につねに立とうとする意識がなせる業なのだろう。