中沢直人(なかざわ・なおと)は1969年生まれ。東京大学法学部卒業後、ハーバード大学法科大学院修了。1999年に「未来」「かばん」に入会し、岡井隆に師事。2003年に「極圏の光」で第14回歌壇賞を受賞。2009年に出した第1歌集「極圏の光」で第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞した。
経歴を見ればわかるように中沢は法学者としてエリートコースを歩んでおり、現在は日本の大学の法学部で教鞭をとっている。受賞作となった「極圏の光」はシアトルの人権団体で働くために渡米した経験をもとにした連作である。
ぎこちなく砂時計のくびれ滑り落ちる一粒としてシアトルに入る
ろうすくう、ろうすくうると啼きながら飛び立つ鳩の群れに混じりぬ
三日月がバナナの房に見えるほど乱視であった過去の日本は
エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を移す水面静けし
好きだったNATION重くなるまでの短さを知る十年日記
もたれ合うことなく生きる人々に甘えられ賑わうショコラティエ
中沢は、自らの詠む短歌の主人公を国際的に活躍するエリートとあらかじめ設定しているのが特徴である。読者はそのことに反感を覚えてはいけない。世界が様々な役割を持った人々で構成されており、その中の一つとして社会を動かしていくエリートという存在があるのだという現実をまずシビアに突きつけるところから中沢の短歌は出発するからである。文体でも修辞でもなく、主体をもって読者に挑戦状を叩き込むのが中沢なりの方法論なのだろう。
最後までこれほど甘いはずはない ほどほどでやめにするカプチーノ
貧困の理由は常に内側にある ぐじぐじと這うあめふらし
責任をなぜ引き受けぬ 言い訳の上手い男のふよふよの頬
回復は本物なのか途中まで傘差したまま行く雨上がり
家族にはもう遅すぎる俺なのか乱切りにする赤いパプリカ
九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ
負け組はますます負ける 遊歩道の端にうずたかく雪かきの雪
改革はイメージばかり甘いから好きなんでしょう山葵のアイスクリーム
岡井隆は解説にて「アフォリズム好き」という中沢の特徴を指摘している。これらの歌は上の句で率直な心情吐露がなされたあとに下の句で具体的な事物を描写して象徴化するという歌である。「傘」が「核の傘」の露骨なメタファーになっているように、心情描写と象徴化された事物の距離が近い。このような象徴化の手法は、感情は個人的なものではなくあらゆる人に共有されうるという思想が基礎になっているように思う。「共感」ではなく「共有」を求めている歌なのだ。
おとろえる視力が心地よいほどの街だモバイルメディアにあふれ
CMにペンギン多き国にいる寒さは所与と思い定めて
朝まだき所詮は敗者復活の具として「書く」という行為あり
公務員試験にここは出ませんと言い添えて九条を終えたり
生き直したい俺なのか丸善を歩けば医科の文字がまつわる
せずに済むはずのなかった世界史のように麻疹が流行りはじめる
雨強し違いなどない悪者のままでもたとえわかり合えても
ゴシックで「引」と書かれたドアを押す両開きだと強く信じよ
都会的で寒々しい世界観が広がる。ロジカルかつクールに作られた短歌だが、奥をくぐっていけば後悔や悲しみ、やりきれない想いが隠れている。歌の輪郭がくっきりとしている理由は、「境界」への意識の明確さにある。ナショナリティの境界、心と物の境界、自己と他者の境界。境界をまずしっかりと区分けすることが法学者の仕事のはじまりなのかもしれない。しかしそれでもなお割り切れないもの見つめようとする。中沢は湿った「叙情」ではなくドライな「心理」を描くことを追求する歌人なのだろう。
- 作者: 中沢直人
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