トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその183・長谷川と茂古

 長谷川と茂古(はせがわ・ともこ)は1961年生まれ。徳島大学工学部中退。1995年「中部短歌会」に入会。2004年に中部短歌会新人賞を受賞。2010年に第1歌集「幻月」を出版している。その作風は、人を食ったペンネームにふさわしい謎めいたものである。

  水無月をひと口噛めばぼんやりと肝油ドロップ、夏の日浮かぶ


  古書店の高き棚より主(ぬし)のごと『ギヨエテ研究』がやぶにらみせり


  虹かかるレーザーディスクLPとともに物置の奥に仕舞ひぬ


  空也上人うたふごとくCDショップに陽水の顔百余り


  ジャングル・ジム鬼ごつこの鬼代はれども格子から出られずずつと


  区切られし此岸と彼岸縞がらの遮断機のまへで佇むばかり


  剥製の店をすぎれば日向に変はる太極図その境界の

 これらは都市詠である。それも濃厚な時代性を背負った都市詠だ。長谷川の歌にはしばしば昭和と平成の都市風景が混濁する瞬間が描かれる。「境界」のモチーフが多用されるが、それもやはり時代性の境界という意味合いがある。その一方で、時代性を超然としたものの象徴として書物が登場する。書物を介して登場するあまたの固有名詞は、時代の象徴であると同時に傍観者でもある。


  ニッポン沈没せぬまま埋め立ての地に大観覧車がのらりくらり


  「恵まれた環境ですよ」移り来し科学のまちは自死おほき街


  白墨の線が眼に飛び込みぬ見知らぬ君が遺すヒトガタ


  貴方とは袖がふれ合ふそれだけの二度と会はないねぢれの位置で


  ツバメ・ステーション 閉店のガソリンスタンドに巣を作りたる三家族


  くちなはを呑み込みながら進みゆくモノレールの口開きつ放し


  風道が幾何学模様をなしてゆく大倉庫ならぶ埋立地にて

 歌集冒頭に置かれた連作はずばり「傍観者」というタイトルであるが、作者が現在住んでいる筑波学園都市を舞台としている。つくばや埋立地などの「人工都市」にどうやら執着があるらしい。都市とは人の似姿であり、人のかたちをとった自分の姿自身もときに人工物めいているように感じられてくることがあるのだろう。そして長谷川の描く風景は都市の人工物であろうと人間であろうと、いずれもその内部に「空洞」を抱えている。

  紺青の水脈(みを)上りし果ての遊宴に待ちたる人と交はすネクタル


  鈴の音を名前に持ちて咲きし花風に揺られてその名鳴りたり


  灰色の雨に濡れゐるビル群がゼリーのように浮き立つ微熱


  Boy meets girl まさに 蟷螂の緑の凝視わが黒き凝視


  〈破壊しに、と彼女は言ふ〉零れ出た樹液はもはや乾いた読点


  夏が連れ去りし蜻蛉の羽根ひとつ郵便受けの上に置かれて


  迷ひこむ蛍となりて前(さき)の世のきみに届けむ一夏のあかり


  くれなゐの色ことごとく落陽に奪はれしのち濁るくちびる

 あとがきによると、20代の頃乱読のさなかに春日井建と出会い魅了されたことが短歌の原点だったという。実際、春日井建の影響を受けたかと思われる美しい修辞の歌も多い。混沌とした都市空間とは違って、長谷川の見る「美しい世界」はそれのみで完結している。長谷川は短歌のなかでいつも「果て」を希求しているようなところがある。世界の混濁に負けないために、美しい断絶でもって立ち向かおうとしているのかもしれない。

幻月―長谷川と茂古歌集 (中部短歌叢書)

幻月―長谷川と茂古歌集 (中部短歌叢書)