トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその196・島田幸典

 島田幸典(しまだ・ゆきのり)は1972年生まれ。高校在学中より「牙」に所属し、石田比呂志に師事。京都大学法学部進学後は京大短歌会に入会。2001年、「光の変容」で第47回角川短歌賞次席。2002年、第1歌集「no news」で現代歌人協会賞現代歌人集会賞を受賞した。
 「光の変容」は静謐な叙景歌を中心とした連作であるが、適度な抒情性も加えられており地味な素材のわりに清新な印象である。

  愛餐にあずかるごとく茫々と時雨を溜める冬のプールは


  横がおを見せつつ橋をゆきちがう光のなかの北山時雨


  首のべて夕べの水を突く鷺は雄ならん水のひかりを壊す


  眦(まなじり)の思いのほかに深かりと別れの際に丁寧に見き


  落葉してうすく日の射す深き森過(よ)ぎりて冬の眼科まで行く


  さきにゆく君の真似して泥濘(ぬかるみ)を避けつつ歩む苑の細路を


  この傷は癒えるでしょうか 立てかけた傘の尖(さき)から水が沁み出す

 おそらくは意図的に硬質な文体を選びとったわけではなく、体質に合う世界観を表現しようと思った時に自然とこういう文体が生まれてきたのだろう。そしてこのような文体にもかかわらず新鮮な若さを感じさせる点で横山未来子に通じるものがある。
 島田の師である石田比呂志は「歌の鬼」とでも呼びたくなるようなエピソードにあふれる無頼派歌人であり、その師弟関係は関川夏央の『現代短歌そのこころみ』にも詳しく綴られている。石田の歌を少々紹介してみよう。

  職業の欄に歌人と明記して犬にちんちんをさせているなり   石田比呂志


  磨り減りし靴の踵にこの先のいかな花びら踏ませてやらむ


  電柱に両手ひろげて抱きついて泣きたいような月夜の道だ


  拝啓、御無沙汰しましたが石田君河豚の毒にて頓死、敬具

 石川啄木に憧れて作歌を始め近藤芳美に師事をしたという経歴を持つ石田であるが、根底にあるのは人生の哀歓とユーモアである。深刻ぶる態度を巧妙に避け、情けなさはあっても愚痴っぽくはならないようにする工夫を凝らしている。そしてなんだかんだで島田もまた、石田の流れを汲むことをしのばせる歌もある。

  膝のネコひざを温め聞き役に徹する 立憲君主のように


  騙し討ちするように愛囁けよ花火ののちを戻りくる闇


  昼更けて予報のままに雨の降る東京地方という地方あり


  重砲を運びしのちに肉となる完璧な牛ありきビルマ


  先廻りして黄昏れているような小春日のNo news is good news(いや、なんでもないさ)!


  たまきわる内村ヨナタン鑑三は信を得て疑を増やしたりけり


  女王の硬貨を握りバスを待つ High Street マクドナルド前

 別にすべてがすべてユーモアの歌というわけではないが、石田が無頼のペーソスというキャラクターづくりによってナルシシズムを忌避したように、島田は過度にペダンティックになることを避けているように思える。イギリス留学なども経験し40歳の若さで京大教授に就任するなど気鋭の若手政治学者という顔も持つ島田であるが、現実の生活の中に現れる微細な世界像の揺らぎをとても大切にしているようである。高校時代から短歌結社に所属するような早熟さを持ちながらあえて文学ではなく政治学の道に進んだあたりにも、生活の共同体を重視する本人の資質があらわれているのだろう。この気負いのなさは、ときに安心感と魅力も与えてくれるのである。

No news―島田幸典歌集

No news―島田幸典歌集