沢田英史は1950年生まれ。京都大学文学部卒業。短歌を始めたのは1989年、親友の死によって「思いが不意に歌の形をとった」という。1992年に「ポトナム」に入会し上野晴夫に師事。1997年「異客」で第43回角川短歌賞を受賞。1999年、第1歌集「異客」で第25回現代歌人集会賞を受賞した。
歌人としては比較的遅いデビューであるが、「都市」をテーマとしたなかなか若々しい作風である。角川短歌賞の選考会では選考委員たちに若い人だと思われており、年齢を知らされて一同驚いたというエピソードがある。
シースルーエレベーター 雨の夜を光の滝壺より浮上せり
そそり立つ硝子のビルの渓谷に鳩狩り暮らすはやぶさあはれ
うかうかと自分を差し出してしまひさうなポストの口がゆふぐれに開く
くろがねの路上駐車は街の灯をサイドミラーに閉ぢ込めてをり
至る所どこにでもある給油所の明るさが欲しい わが黄昏に
関係はキーボードより打ち出され液晶表示に淡くつながる
月の照る工事現場のパワーショベルはいつかドラゴンになるやも知れず
林立するビル群をたたえた都市を舞台とした歌。そして描かれる時間はつねに黄昏以降、夜の世界である。闇の中にあらわれる人工的な光のビビッドなイメージが冴え渡っており、確かに若々しい印象を与える。しかしこの光と闇のコントラストは、沢田の作歌の原点にある「死」のイメージに基づくものであろう。彼岸と此岸を分ける何かが「黄昏」にある。そして光うごめく騒がしい闇は、ただ闇が広がっている様よりも彼岸に近いと思わせる何かがある。
もうひとつの特徴は「ここは自分の居場所ではない」という異人感覚である。歌集の題である「異客」というのもそういう意味合いがある。
この空に数かぎりない星がありその星ごとにまた空がある
唐突にポケットティッシュ手渡されそのふにやふにやを持ちて歩めり
ひとはなぜかくも軽がる身を運ぶおもひきれないわれはわが身は
われといふ感情浮遊物体の操作レヴァーを扱ひかねて
誰もゐぬところへ不意に降りてきて人間みたいな顔をしてゐた
さういへば思ひつづけてゐたつけなどこへ行つても客でしかない
「あなた」でも「あいつ」でもなくいふなれば第四人称に囲まれてゐる
今おれは何をしてゐるヒトといふこんな重たいからだをまとひ
「異星人」というメタファーによって表現される「客でしかない」という感覚。どこに行ってもなじめないという都市社会の生きづらさが表現されている。少しSF的なイメージもある。
ゆく車(カー)の流れは絶えずあかねさすテールランプを海渡しゆく
ビル抱く暗き淵よりせりあがり観覧車いま光都(くわうと)を領(し)れり
知り猫に何してるのと訊ぬればニャアと答ふるにやあしてるのか
キッチンに残るはバニラエッセンスゆふべのことも物語となる
困つたらクマの着包(きぐる)み用意してぼくにメールを届けてほしい
立ち止まり遠くを見つめることもまた勇気なのだとペンギンが言ふ
これらは「セレクション歌人 沢田英史集」に収められている「異客」以後の作品である。光と闇を見つめた都市詠と自己への疑念というテーマは一貫している。該博な古典知識を生かした本歌取りの現代化も巧みである。口語を使ったやわらかい歌が増えているのも特徴であり、アニメをテーマにした歌などもある。若々しさに加速がかかっているような気配があるが、どこか大人の苦みも伝わってくる。無理して若ぶっているのではない、自然な感じがあるのだ。できればこの感性を保ち続けたまま老年期を迎えていってくれるとうれしい。