田中章義は1970年生まれ。「心の花」所属。慶應義塾大学総合政策学部卒業。大学在学中の1990年に「キャラメル」で第36回角川短歌賞を受賞し、20歳にして第1歌集「ペンキ塗りたて」を出版した。
「ペンキ塗りたて」のあとがきにはこう書かれている。「巧い歌より、無骨で存在感のある、荒々しい歌を自分に求めたいと思う。」どうやら佐佐木幸綱的な男歌を志向していた部分があるようだ。確かに、その影響のみられる歌が見受けられる。
フォワードとバックの間にはさまれて俺のフィールド未だつかめず
俺からの賞を得ること唯一の俺の目標昨日も今日も
膝かかえまぶた閉じれば走り去るバイクの音が遠くに聞こゆ
刃渡り十八センチのナイフであいつの乳房を殺(そ)ぎおとすゆめ
女とはやはり蛾ならず光りたる男のおでこに集まりはせず
もっともこういった歌はあまり田中の本質的な部分ではない。実のところ個性が出ているのはますらおぶりの歌ではなく、少しずっこけた情けなさをまとった歌である。滑稽な哀愁というのも男歌の重要なファクターであるが、田中の場合無頼未満、ダンディズム未満の青くさい哀愁を特徴とする。
壇上の講師の頭皮ながめつつあごひげを移植したき衝動
あの雲の上から見れば富士山はBカップほどの乳房ならんや
背番号十五の少年ふかぶかと帽子をかぶり涙を隠す
未完成のジグソーパズルの空白はいつしかほこりに埋められており
工事中の校舎を見つつ思いたり大学は永遠(とわ)の建設現場
島田学校のロケにいくたび青春はずっこけそうなスケボーと思う
ついて来いと言わない僕の言葉なりきみにさし出す赤いエプロン
変声期の少年なれば好きですという言の葉もかすれてしまう
十代のNG集のひとつなりきみにあげたる子ブタブローチ
歌に登場する「島田学校」とは島田紳助の番組で、いろいろなジャンルで活躍する若者を集めて集団生活をさせるという内容だったそうで、田中はそれに参加していたそうだ。これらの歌は単に若さゆえに青くさくなったのではない。「未完成」「アンバランス」「発展途上」な状況を田中は好んで詠む。これはそうあることが許されていた時代の空気に影響を受けている。田中の歌には「背番号十五の少年」に象徴されるような「補欠」的存在としての意識がみられる。実力不足で社会のレギュラーになれない存在、しかしまだまだ振り落とされた落伍者とまではいえない存在。そんな微妙な宙ぶらりんの時期の空虚さがあらわれている。
もう一つ田中の特徴として、テキスト的な理解をモチーフとした「発見」の歌がある。
去ってゆくすべては比喩になりゆくとかつて誰かに言われた記憶
強引の副詞「だって」に続くのはかみそり型の断定形のみ
笑顔という感嘆符ちゃらりちゃらちゃらと刻まれており卒業アルバム
スピノ座の四つの星は地球上のどこに立ちても一度に見られず
文字の字にヽヽ(てんてん)つけて文学となりたるこのヽヽ(てんてん)とは何ぞ
花開くまで世話したし 僕たちの「夢」という字は永遠(とわ)に草かんむり
実体のあるものをテキストに変換して考えてみたり、テキストそのものの不思議を見つめてみたりする。千葉聡も得意とするテクニックであるが、いかにも文系的なアプローチだ。
近年の田中は環境保護運動に携わっており、短歌以外の執筆活動が圧倒的に多い。私が初めて読んだ著書も「慶應義塾大学SFCの挑戦」という本であった。著者が歌人であるという知識はまったくなしに読んだものである。現在は「ペンキ塗りたて」の頃のような青春歌は作っていないようだが、過渡期のものやアンバランスなものにひかれる部分は変わっていないのかもしれないと感じる。