吉田漱は1922年生まれで2001年に没。東京美術学校卒業。1947年に「アララギ」に入会し、のちに「未来」創刊に参加。近藤芳美に兄事した。「未来」では編集担当者や運営委員として長く携わったようだ。1995年に「バスティーユの石」で第31回短歌研究賞を受賞。さらに1998年には「『白き山』全注釈」で第9回斎藤茂吉短歌文学賞を受賞している。
吉田の短歌はアンソロジーにおさめられた「風の碑」という比較的若いころの作品しか知らないが、アララギ系歌人としては珍しくロマンチックな歌風である。
指からめ眠りしままの幼年期黄色きバラあり風そよぐなか
死んだ子どものあそぶ部屋、ドアよりその母のつぶやき――Viens, ma chere
椅子ふかくひきて暁を待てるとき雲によびかわし来よ 死者たちは
小さなる死を私にうちかさね重き死となることありや 夏よ
いくつかの私を夕空からとりあつめ地下にかえらん明日放つため
ロマンチックでどことなく青春の香りを宿す歌である。図書館で吉田漱の名前で書籍検索をかけてみると、どうやら浮世絵の研究者でもあったらしいことがわかる。どこかほのぐらい世界観はどちらかというと油絵のイメージに通じるが、美術作品を練るような手つきでつくられた歌だという印象が強い繊細さがある。
ある午后に死者のおまえとわたくしと始める風の卓での食事
爪だてて子の小さな指がよぶまどろみは空から透明な蝶
夜はわが KINGDOM 、わがとりで、さればむきなおりて降りゆかんとも
まどろみに藍のアジサイさきむれてなおカレンダーの木曜は喪
やさしさのうねりきたれるというときもはやばやとすでに混濁す
眼下二千メートルに黄河決壊し天の無辺まであふれるをみき
ふた国にかけてたゆたう湖といのちせまりてかつはうたいき
銀の針あやふく支うばかりにて蝶ひとつ永久の旅立ち
幻想的なイメージの歌に惹かれるところが多い。死の匂いの立ち込めた歌が目立つが、「混濁」や「決壊」という語から浮かび上がってくるのは境界を壊しすべてが混ざりあっていくことへの希求のように思える。
その五月、熱病む花びらの触れあいてしばしのち羞しかりにし
さかしまに望遠鏡をのぞく夕べかわらぬ十六才の笑みがふりむく
かがやいて空ののびゆく橋ひとついまひとときに充ちたりるとも
ゆらゆらと身の定まらぬ妻のむこう窓いっぱいに染まりゆく夕
夕ぞらはくちなわいろにかたむきてわれの血もはやにごりはじめつ
ぼうぼうと髪のさきより青くもえいまとめどなく手の先きももえ
ロマンチックでやや耽美性のある作風だが、実のところいたずらに難解な語を用いるような趣味はなく、絶妙に素直な歌も目立つ。ひらがなの多い字面もやわらかなイメージを増幅させる。このあたりにアララギの血脈があるようにも思える。晩年の吉田の作風に触れることができなかったのは残念であるが、また見直される機会が増えていくことを期待している。