トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

一穂ノート・3

 吉田一穂はもともとは短歌を作っていた。記録に残っている最も古い歌は1913年に詠まれている。一穂が影響を受けた歌人北原白秋である。一穂は16歳の時、東京の学校に通っていたが文学に専心して不登校になってしまい、実家から北海道に呼び戻された。そのとき携えていたのが白秋の『桐の花』だったという。直接的に教えを受けたのはアララギ派の島木赤彦である。
 一穂の短歌は独特のロマンティシズムがあり、自然詠を好んで詠んでいる。また、海の歌が圧倒的に多い。

  枕にしまた夢めぐる朝夕の幾日やみなき荒潮の音
  この愁ひ海に死なまし渚邊のたゆたふ波にきづけ奥津城
  波の音こもりて荒き松原に香も焚かじな竜胆【りんだう】の花
  聖ルカの河岸に臨みてさやかなる満潮時の水のほあかり
  母上よはや眠りしかただひとりききに寥【さび】しきこの波の音 
 短歌作品は「中学生」「女学生」「幽暗」といった雑誌が初出となっているようだが、発表年月不明のものが多い。唯一わかっているのが「海角」という連作で、1920年8月。年譜に照らし合わせると、この頃の一穂は上磯郡に帰郷しており、トラピスト修道院にて文学講師をしていた三木露風を訪ねるなどしていた。8月ごろに実家が破産状態になり、原稿料で生計を立てる決意を固めたようだ。

  波しぶき濱のなぞへの船小舎につながれてなく牝山羊ゆあはれ。

  山羊よべば愛【かな】しや首【うなじ】すりよせて掌の草かぎわけて食む。
  洲の岬【さき】にうもれ横たふ廃船のかけら錆びたる舟虫の痕。
  外海の夜をこめてふる秋雨に漁火つばらつばらゆれ見ゆ。
 これらが「海角」の歌である。一穂の歌う海の風景は上磯の海なのだろう。荒く重い北の海。未来への不安を抱かせてくる寒々しい海。実家の経済的逼迫を感じ、家族がばらばらになる予感も持っていたのかもしれない。
 一穂の短歌は、詩篇に滲み出ているような激しい熱情と耽美性はかなり鳴りを潜めている。現れているのは、ノスタルジアの対象ではなく今己が立っている厳しい場所として上磯の海を眺め続ける苦悩者の姿である。
 一穂の青春時代は北海道と東京の往復の繰り返しである。夢を抱いて上京しては夢に敗れ帰郷していた。15歳の時に初上京してから、22歳の時に実家が破産するまで、4回の往復を経験している。一穂が見つめる北海道の海は、夢と現実を分かつ悲しき壁の象徴だったのだろう。一穂にとって、北海道の海と短歌とは、夢に敗れ続けた苦い記憶で一線につながるものだったといえる。