トナカイ語研究日誌

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一穂ノート

第2回吉田一穂研究会

先月より発足した吉田一穂研究会。一穂の地元北海道からその業績を見直してゆくべく始まった勉強会である。第2回である本日は、小樽文学館副館長の玉川薫氏をゲストスピーカーに招いた。玉川氏は福井県出身で、北大文学部を卒業後、東京の出版社勤務を経て開…

一穂ノート・25

吉田一穂が詩人として目指した究極の目標は「神話の創世」であるように思う。学生時代に北欧神話に熱中した一穂は、歴史のない故郷北海道にエッダのような完成された北方神話をつくることを夢見ていた。もちろん北海道にはアイヌの神話はあったし、一穂自身…

一穂ノート・24

実は吉田一穂が初めて出版した本は詩集ではない。1924年に出た童話集「海の人形」である。童話は詩と並んで一穂の創作の柱だった。生前に唯一得た生業も絵本の編集者の仕事である。大正期の児童文学の中心は鈴木三重吉主宰の「赤い鳥」である。一穂の童話観…

一穂ノート・23

魚歌 ふる郷は波に打たるゝ月夜かな 鳥跡汀 鳥たつ跡の汀べに 拾流木 うちあげられし木を拾ひ 焼魚介 さかなを焼きて濁り酒 勺濁酒 獨りし酌めば夕波の 濤声騒 声もおどろに濤(なみ)騒ぐ 波蝕洞 ほこらにひゞく波の音 一穂の作品としては希少な漢詩である…

一穂ノート・22

「海の思想」には一穂の学生時代の思い出も綴られている。16歳で上京し、図書館で翻訳書を漁る生活が始まったという。それまで一穂少年は美術に対する興味が強かった。しかし文学にのめり込むうちに自ら絵筆を執ることはなくなり、もっぱら鑑賞専門になった…

一穂ノート・21

エッセイ「海の思想」に綴られている一穂の少年期の回想である。津軽海峡に真向かう小さな漁村に彼は暮らしていた。 小さな村で、殆どが萱葺の軒並であつた。漁業といふ集団作業の必要から、この古い館はマクベスの砦のごとく大家族を擁してゐた。若くして家…

一穂ノート・20

1953年発表のエッセイ「海の思想」は一穂が珍しく自らの半生を綴ったものである。幼少期から青春期に至るまでの明るい告白がなされている。 望郷は珠の如きものだ。私にとつて、それは生涯、失せることなきエメラルドである。 この一文から随想は始まる。そ…

一穂ノート・19

一穂の故郷・古平町は積丹半島北東部に位置している港町である。吉田家は三代続いたニシン漁場の網元だったが、一穂18歳のときに廃業し回漕店、書籍文具店に鞍替えしている。 一穂は古平を「白鳥古丹(カムイコタン)」と呼び、美しい思い出の地として終生愛…

一穂ノート・18

空中楼閣 何をねらふ艦砲の仰角、 原爆実験で沙漠に出来た硝子帯、 海のない燈台、反射炉、ピサの斜塔、 バビロンならぬ、ここ廃都のどまん中にして、 二十世紀バベルの塔! (利益社会ではあっても国家ではない) ハンザ同盟の硝子張の司令塔だ。 いや下水…

一穂ノート・17

1930年、一穂32歳の時に刊行された第二詩集『故園の書』はアナーキズム的文学論の影響を強く受けた散文詩である。1923年に高橋新吉が登場し、1925年に萩原恭次郎が登場した。そういったダダーイズム文学の流れの下にあるようにも感じられる。 「空」は衒学的…

一穂ノート・16

VENDANGE 去る日、もはや米櫃に一粒の糧なしと妻の訴ふる、さ れど一合の米は現実の秤にして、易くは補ひ難けれ。 画餅とはいひ、まづ一房の葡萄に添へて鼓腹撃壌之歌 を置き、子と共に唄ひぬ。 われは葡萄の収穫(とりいれ)。 大鎌にして穀倉、 かの落日の…

一穂ノート・15

Delphinus 空 鴎 波 岬 燈台 (海の聖母【マドンナ】!) ☆ 雲 驟雨 貿易風 潮の急走 海は円を画く (太陽は真裸だ!) 痙攣【ひきつ】る水平線 水の落魄 回帰線 流木 鱶! 泡 『Delphinus』とはいるか座のことである。天の川の付近を泳ぐイルカの象形である…

一穂ノート・14

14 ユークリッド星座。 同心円をめぐる人・獣・神の、吾れの垂直に、氷触輪廻が軋んでゆく。 終夜、漂石が崩れる。 15 地に砂鉄あり、不断の泉湧く。 また白鳥は発つ! 雲は騰(あが)り、塩こゞり成る、さわけ山河(やまかは)。 『白鳥』第14章では再び幾…

一穂ノート・13

12 時の鐘が蒼白い大気を震はせる。 誰れも彼も還らない…… 屋上に鳥の巣が壊れかゝつてゐる。 13 灯を消す、燐を放つて夢のみが己を支へる。 枯蘆が騒(ざわ)めいてゐる。 もう冬の星座が来てゐた。 『白鳥」第12・13章は、白鳥が来る最大のハイライトがひ…

一穂ノート・12

10 無燈の船が入港(はひ)る、北十字(キグヌス)を捜りながら。 磁極三〇度斜角の新しい座標系に、古代緑地の巨象が現れてくる。 紛(なく)したサンタ・マリヤ号の古い設計図。 11 未知から白鳥は来る。 日月や星が波くゞる真珠貝市(かひやぐら)。 何処…

一穂ノート・11

8 白い円の仮説。 硝子の子午線。 四次元落体。 9 波が喚いてゐる。 無始の汀線に鴉の問がつゞく。 砂の浸蝕…… 『白鳥』第8章はこの長大な詩の最大の転換点と言えると思う。三つの体言止め。いずれも非常に抽象的なシュールなイメージである。具体性のある描…

一穂ノート・10

6 蘆の史前…… 水鳥の卵を莞爾(につこり)、萱疵なめながら、須佐之男のこの童子(こ)。 産土(うぶすな)で剣を鍛つ。 7 碧落を湛へて地下の清冽と噴きつらなる一滴の湖。 湖心に鉤を投げる。 白鳥は来るであらう、火環島弧の古(いにしへ)の道を。 『白…

一穂ノート・9

4 石臼の下の蟋蟀。 約翰伝第二章・一粒の干葡萄。 落日。 5 耕地は歩いて測つた、古(いにしへ)の種を握つて。 野の花花、謡ふ童女は孤り。 茜。 『白鳥』の第4・5章は作品においてマイナーコードの部分にあたるような、静かな調べの2連である。4章は…

一穂ノート・8

2 燈(ラムプ)を点ける、竟には己れへ還るしかない孤独に。 野鴨が渡る。 水上(みなかみ)はまだ凍つてゐた。 3 薪を割る。 雑草の村落(むら)は眠つてゐる。 砂洲(デルタ)が拡(おほ)きく形成されつゝあつた。 『白鳥』第2章および第3章は村落生活の…

一穂ノート・7

一穂の代表作中の代表作『白鳥』は、十五章に分けられた三行詩である。1944年10月の「詩研究」に『荒野の夢の彷徨圏から』として五章が発表されたのを初出とする。1946年10月の「芸林間歩」にて全十二章と長大化し、最終的には十五章となって1948年の第4詩集…

一穂ノート・6

一穂がエッセイ「白鳥古丹」を発表したのは1965年、「古平同窓会報」誌上である。幼少期を過ごした故郷古平に対する一穂の熱い思いがあふれている一篇である。伊藤整に「北海道訛りがありますネ」と云われ、「生国の言葉を忘れるやうな俺れは軽薄な男ではな…

一穂ノート・5

一穂は1925年、27歳の8月、「萬朝報」に3回に渡って『詩壇への公開状』を執筆した。詩人・吉田一穂の立ち位置を明確にし、詩壇の混迷状況を切って捨てる短い評論である。 一九一九年以降、多大の過誤を妊んで隠然一個の中心勢力を成し何等芸術運動としての主…

一穂ノート・4

母 あゝ麗はしい距離【デスタンス】 常に遠のいてゆく風景…… 悲しみの彼方、母への 捜り打つ夜半の最弱音【ピアニシモ】。 吉田一穂のデビュー詩集『海の聖母』の冒頭を飾る短い詩である。この詩は後の詩集『未来者』にも収められている(そちらのバージョン…

一穂ノート・3

吉田一穂はもともとは短歌を作っていた。記録に残っている最も古い歌は1913年に詠まれている。一穂が影響を受けた歌人は北原白秋である。一穂は16歳の時、東京の学校に通っていたが文学に専心して不登校になってしまい、実家から北海道に呼び戻された。その…

一穂ノート・2

散文詩『石と魚』は、一穂20歳のときに書かれた初の散文詩『処女林』がもとになっている。「猟人日記」という小題が付されている通り、雪山を行く猟師の手記のような形式で書かれたものである。 小舎は雪に埋れてゐた。山影と林の記憶を辿り、二匹の犬に橇を…

一穂ノート・1

吉田一穂(よしだ・いっすい)という詩人がいた。1898年に北海道松前郡木古内町に漁師の息子として生まれ、積丹半島の古平町で育った。本名は由雄(よしお)。1973年に東京で没した。 一穂の名は同世代の詩人である金子光晴や三好達治と比べるとそれほど知ら…