トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・19

 一穂の故郷・古平町は積丹半島北東部に位置している港町である。吉田家は三代続いたニシン漁場の網元だったが、一穂18歳のときに廃業し回漕店、書籍文具店に鞍替えしている。
 一穂は古平を「白鳥古丹(カムイコタン)」と呼び、美しい思い出の地として終生愛した。古平の風土が一穂の作風に与えた影響はどれほどあるのだろうか。実際に古平を訪れてみることにした。


 
 積丹半島は中心部に高い山地がある。古平は山と海に挟まれた場所だ。そのためか、強い海風が吹き荒れていた。積丹半島には神威岬が突き出しているが、ここは非常に激しい風が吹いていた。神威岬の先端には神威岩という遠目にはシロフクロウの形に見えるような巨大な奇岩があり、かつては女人禁制の地として知られていた。海にはウサギのような白波が常に走り続け、防波堤が高波をせき止めている。一穂の詩に現れる荒涼たる風景には、この風が確かに似合うかもしれない。今でこそ積丹半島の海岸線を通る道路が作られているが、一穂の時代にはまだ海岸線に道はなかった。海路を行くのが最も安全な通行法だったのである。生誕地の木古内から古平に渡ったとき、一穂も海路を使っただろう。荒れる海と風が原風景になったのだろうか。

 新漁港よりも旧漁港を重点的に見て回った。より一穂が見た風景に近づこうと思ったからだ。シャコタンブルーと呼ばれる暗めの青。滑るように飛び交うカモメたち。背後にそびえる青山。これは一穂の時代から何も変わっていないものの一部だろう。
 今回は積丹半島の外周をぐるりと回り、岩内町まで足を運んだ。岩内町積丹半島の西側にある港町である。有島武郎の「生れ出づる悩み」のモデルとして知られる画家木田金次郎の出身地であり、記念美術館もある。木田金次郎は一穂より5歳年長でありほぼ同世代である。かつては道路は神恵内村で行き止まりになっており、積丹半島を回るのは前述の通り海路しかなかった。古平と岩内は近くて遠い場所であったろう。

 積丹半島を回って見えてきたのは、山地と海に挟まれた厳しい風土が一穂に与えた影響は少なくないだろうことだ。一穂は星空や海を好んで書く一方で、山をほとんど描かない。そして一穂の詩は描かれていない余白部分にも大きな意味がある。積丹の苛烈な風土を作り上げているのは山だ。海へのロマンティックな親しみの一方で、一穂にとっての山は遠く厳しいリアルな生活の象徴だっただろう。一穂の詩にはいつも、逃げ場のない閉塞感と焦燥感がある。私は荒れながらも美しい積丹沖の漁港を見ながら、ひたすら山を背にして思い詰めた表情で海を見つめる一穂の立ち姿を想起した。海を見る詩人は、すなわち山を見ない詩人だった。生活と詩の狭間で苦悩する一穂の果てしない悲しみに、同期できた気がした。