トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・4


あゝ麗はしい距離【デスタンス】
常に遠のいてゆく風景……


悲しみの彼方、母への
捜り打つ夜半の最弱音【ピアニシモ】。

 吉田一穂のデビュー詩集『海の聖母』の冒頭を飾る短い詩である。この詩は後の詩集『未来者』にも収められている(そちらのバージョンでは「母への」の後に読点が付く)。詩人吉田一穂の始まりを告げる一篇である。年譜によると初出は1923年3月の「詩と音楽」。この年、一穂はあらゆる媒体に矢継ぎ早に詩を発表し、にわかに詩壇で注目を浴び始めた。
 『母』の詩は確かに母恋がテーマなのだろうが、遠のいてゆく風景をもって「麗はしい」と言い切り、「悲しみの彼方」へとピアニシモを打鍵する。戻らないものへの透き通るような悲しみが描かれている。



彼女にひそむ無言。
夜を行く裸形の群れ
彼等は踊る。

愚かなる野の祭り。

 やはり同時期に発表され、『海の聖母』に含まれた一篇。こうした最小限の言葉の連なりで構成された詩は目立つ。もちろんそれは七五調をベースとする日本古来の短詩型とは全く別の方法論によるものだ。凍りつくような寒さゆえに言葉少なになってしまっているような物言い。流れるような叙情感覚はここにはない。あるのは一呼吸ごとにゆっくりと言葉を吐いていく硬質な構成意識だ。
 一穂の詩に「母」「弟」「妹」は現れるが、「父」の姿が登場しない。現実の一穂には後に没落したとはいえ大きな網元であった父がいた。しかし一穂にとって父はいないも同然だったのかもしれない。父の喪失は、一穂の内面に関わる問題であり、北海道の風土に関わる問題でもある。