トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・17

 1930年、一穂32歳の時に刊行された第二詩集『故園の書』はアナーキズム的文学論の影響を強く受けた散文詩である。1923年に高橋新吉が登場し、1925年に萩原恭次郎が登場した。そういったダダーイズム文学の流れの下にあるようにも感じられる。
 「空」は衒学的な言葉に彩られた一行が続く詩である。一行詩の集合なのか、それとも行分け詩のバリエーションなのかよくわからないところがある。

金の子午線に傾斜する東半球を、波うつてゆく生命の天路歴程(エア・ライン)!

草! 黄斑鹿(フアロー・デイア)の群れが彷徨してゆく。針金雀枝の荒地。低湿地の氾濫。

島。雲は速い! 椰子の木蔭に光る礁湖(ラゴン)。白い館。黒人。水脈ひく独木舟。無線電信塔。

Orientation!

雨の街。地表が天に直立する。逆転・傾斜する新緑の森・時計台・濠割・城砦・鐘楼・電線・烟突・鉄路・並木路・風見鶏。

 抜粋となるが、こうした一文が26行並ぶ。ひたすらに名詞の羅列がマシンガンのごとく続いていく詩である。抑えきれない気持ちの昂りが表現された文体であるように思う。まるで船に乗りながら遠くの島を探し続けているような興奮を与えてくれる。
 唯一、一語のみで構成されているのが「Orientation!」の行である。この語には色んな意味があるが、動物学上の「帰巣本能」という意味もあるらしい。冒頭に「五月の故郷(ふるさと)へ燕らは急ぐ。」という文もある通り、帰郷の詩なのかもしれない。津軽海峡を渡って北海道へ帰るときの風景。一穂はそれをどのように見ていたのか。

海峡植民地。白と黒の世界都市(コスモポリタン・タウン)。温い驟雨の降り灌ぐ簇葉。

月明の海峡。船燈(フアナル)。眠れる海港の光暈。魚光群!

 異世界のような海峡風景は、一穂が故郷へと抱く複雑な感慨のあらわれのように思える。白と黒の世界都市とは函館だろうか。一穂は「エッダ」の英訳本を通じて北欧神話をよく繰っていたことがあるようだ。北へ帰るイメージは、一穂のなかに新たな北の大地の神話を創りだす意味合いを持っていたのだろうか。

落葉の林泉に喉を湿ほしてゆく空の放浪、また秋風の中に。

 「空」の一連はこの行で終わる。帰郷のイメージの向こうに再びあらわれる「放浪」。一穂にとって故郷喪失という問題意識が深く根ざしていることの象徴だろう。