トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその132・和田大象

 和田大象(わだ・たいぞう)は1950年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。映画監督を志して日活撮影所で宣伝の仕事をした後に大阪に帰郷。家業の「ごま屋」を継ぎ、現在も経営者として働いている。「玲瓏」にて塚本邦雄に師事し、1989年に第1歌集「禊ぞ夏の」を出版した。「世紀末ビジネスマン」「くらはんか」と現在までに3冊の歌集を持つ。
 「禊ぞ夏の」は非常に面白い歌集であり、昔の映画のような雰囲気のかっこ良さがある。スタイリッシュではないが渋い男の哀愁に満ちた、和製ハードボイルドの魅力を放っている。

  Tシャツ脱ぎ捨てむかふ撞球(ビリヤード)の卓のさ緑は陽の草原となる


  〈風の町〉と名づけて朝(あした)ここを発つガス・ステーションのなつつこい奴


  ぬばたまの髪引きよせて石榴食ふテクノポリスの夜半寒々し


  ゆっくり歳とらうぜ 泥酔一歩前深夜テレビの萩原健一ショーケン)に

  
  キーウィの切口凉し夏越祭ウォッカ冷やして悪友を待つ

  
  竜巻の暴れし後の朝ぼらけおのれ透きつつ去る男あり


  ビリヤードの卓の緑にくみふせて君を愛さむバーボンに痴(し)れ

 テンガロンハットを被ってあてのない旅をしているような主人公像が思い浮かんでくる。苦みばしった大人の歌という感じだが、虚構めいたムードがあるのも確かである。映画監督志望だったという経験が関係しているようにも思える。

  爆弾を抱くここちして抽斗の奥ダ・ヴィンチの解剖図鑑


  走馬灯かざして少女小走りに素足おぼろの夏の夕闇


  春蝉を素手で捕へて誇らしく緑したたるなかの少年


  若き鷹大空(そら)におのれの道定む 五月嵐(メイ・ストーム)の翼(はね)しなやかに


  夕焼の火をくぐりゆく観覧車重き告白もう降りられぬ


  月光に鬣(たてがみ)なぶらせて伝染性貧血症の馬皆殺し

 塚本邦雄直系の青春の香り高い歌である。緑のイメージが鮮やかなのが印象に残る。緑というのは和田の作風を象徴する色であるかもしれない。猥雑なように見えて、その背後はつねに緑の森のような大きな世界観が存在している。

  トルコ原産胡麻搾り工場の男らはグレコロマン・レスラー


  血の匂ひ嗅ぎつけてよりタイ弛め戦略を説く経営セミナー


  キャプテン・シンドバッド浸水感知せず船荷の罌粟(ポピー)はげしき発芽


  金胡麻煎る金色(きん)の煙にかそけきは屈強の男屈むその様


  火の粉浴び禊ぞ夏のをのこらの祭の果ての闇深きこと


  黒胡麻すり潰しをれど なほのこる粒 野望などとうに忘れた

 生業である「ごま」の歌にユニークさがある。ごまが人類の食材として非常に古い歴史を持つことをしっかりと熟知しており、ごまを媒介として人間と歴史性につながろうとしている。現代的な経営者の身なりをしていながら、実は歴史ある食材を「すり潰す」というアナログな手法で生み出している。そのことへの意識を明晰に保っているのが和田の個性であり、また塚本邦雄から受け継いでいる美学であるように思う。
 「街を風のように去り転々とする男」というイメージをフィクショナルに散りばめているのは、貿易品として海を渡り国境を超えてゆくごまの姿にビジネスマンとしての自己像を重ねているからかもしれない。経済の大元は自然に帰すのだと考えているのなら緑色のイメージに納得がいく。ごまという一つのキーワードからブレインストーミングのように発展してゆく世界観。なんとも不思議な引力がある。

くらはんか

くらはんか