トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその100・西田政史

 西田政史(にしだ・まさし)は1962年生まれ。愛知県立大学国語学部卒業。「玲瓏」にて塚本邦雄に師事し、1990年に「ようこそ!猫の星へ」で第33回短歌研究新人賞を受賞。1993年に歌集「ストロベリー・カレンダー」を刊行している。
 西田の文学とのつながりは同じ大学であった荻原裕幸との出会いが契機であったらしい。同じ「玲瓏」で塚本邦雄に学んだためか作風としては荻原裕幸と共通する点が多い。しかし受賞作のタイトルにも顕著にあらわれているジェリービーンズのようなカラフルポップ感は、西田が先んじて築き上げた個性といえるだろう。

  ぼくたちの始まりのときC#mが二度はづんで消えた

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  憂鬱はわりに好きだよなまぬるいピクルスに似たところもないし

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  水晶のかけら投げ合ひからうじて恋愛といふ王国まもる

  珈琲にミルク注ぎて「毎日がモカキリマンジャロほどの差ね」

  「何よそれケルカモアハレナケリよ何もいはない方がまだまし」

 軽やかな口語と飛び跳ねるような飛躍の多い言葉遣いが特徴である。P・オースターなどアメリカの作家の名前が登場するなど、都会的なポップ感覚を追求しようとしている傾向が見られる。しかしこうした作風は最初から完成されていたものではない。出発点は塚本邦雄であり、硬質な抒情が原点にある。

  われの知らぬ空いくつ経てしづまれる戸棚の中の模型飛行機

  放りたる檸檬また掌に戻るまでそのときの間を「青春」と呼ぶ
  夏来たるすずしき書店にぎはふを新潮文庫の一隅しづか

  わがうちに満ちわたる虚を知るゆゑかけふ故郷より着きたる林檎

  水彩の尽きたる空の色買ひにゆかむ睡りの熟るる時刻に

  こんな時思ふべきにはあらざれど灯り見まほしモスバーガー

  ディズニーの家鴨のごとし夜も昼も窓際に添ひゐたる空虚は
 巧みな文語を用いた繊細で美しい青春歌こそが西田の原点ともいえる姿である。そして抒情の軸をしっかりと持っているからこそ、「モスバーガー」などの現代的都市風景や「ディズニーの家鴨」のようなポップなイメージすらも鮮やかに取り込まれていく。胸の中に秘めている空虚と喪失の感覚が、セピア色の追憶の風景とカラフルな都会の風景を混合させていく。それは都市詠のもっともすぐれた部分であり、西田政史という歌人の最大の魅力だろう。

  WOWOWが「忠臣蔵」の放送をやめないつまりレのあとのファラ

  地球ニハ**ナノネナノネノナノネミギナノヒダリナノネ、ヨウコソ!

  シーソーをまたいでしかも片仮名で話すお前は――ボクデスヲハリ

  音ハタダノ音ヂヤナイデス本当ハえばーぐりーんトイヒマスヲハリ
  愉快探シげーむデスカラ不快度数二十未満ノ方オコトワリ
  赤と緑の村上春樹読み終へて「ケルカモアハレナリケリね、これ」

 記号や音楽用語の導入などの言語実験的な部分は、空虚ゆえに無意味のなかに詩を見出していこうとする作業だったのかも知れない。消費社会の過剰さを背景にあえて中身のない表現で原色の輝きを描こうとした西田は、特異なポップセンスが魅力的で現代短歌史上でも非常に重要な歌人であると思う。「ストロベリー・カレンダー」を出して以降は短歌から離れてしまったようであるが、現在も復活を願ってやまない。