トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその58・江畑實

 江畑實は1954年生まれ。関西大学社会学部卒業。1978年に「塔」に入会し、1983年に「血統樹林」で第29回角川短歌賞受賞。その後「玲瓏」の創刊に参加し、塚本邦雄に師事。6年間「玲瓏」編集長をつとめた。デビュー作となった「血統樹林」は塚本邦雄の強い影響下にあり、そして選考委員であった塚本の強力な推しで受賞にいたった。ちなみにこの当時まだ「玲瓏」は創刊しておらず(創刊は1986年)、塚本は無所属扱いであった。第一歌集「檸檬列島」は1984年の刊行である。

  谷間(たにあひ)を過ぎて車窓に海は見ゆその死者の名をわれにも告げよ

  下宿までいだく袋の底にして発火点いま過ぎたり檸檬

  てのひらに秋のをはりの驟雨沁むいまこの傷を聖痕と呼ぶ

  地下鉄の窓にもたるるその闇の死はわかものととなりあはせに

  群青の天の底ひに耳澄ます汝(なれ)わかものと呼ばるるけもの

  鍵をかけ部屋にひとりの夜はきみのかはりに薔薇を磔刑に処す

  ほほゑみに死の影させり青年がふいに絵日傘さしかけられて

  陽のなかにいもうとが爪たてて剥き霧(きら)ふ柑橘類の血しぶき

  陽溜りに重ねし書物そこに置くわが曝涼の不発の檸檬

  ひと夏のをはりの海に群青をわすれて軽しわが絵具函
 原文は正字を用いているがここでは新字で記す。塚本色の濃い歌風であるが、青春性が高いという特徴がある。歌集タイトルにも使われている「檸檬」というモチーフであるが、梶井基次郎の「檸檬」からとられている。「発火点」を過ぎた「不発」の檸檬は、丸善檸檬を置いて爆破幻想を抱いた青年に対するアンサーである。世界爆発を夢見ながら結局は何も起こらず「不発」に終わる。「何もできなかった」という不全感ばかりにとらわれる青春風景。しかしその一方で「わかものと呼ばるるけもの」などの表現には直截的な若さ賛歌、青春賛歌としての側面がある。不全まみれの青春はきらめきと隣りあわせなのだ。鬱屈した青春もまた輝かしいものなのである。これは、死の香りたちこめる戦時中に青春を過ごした塚本では得られなかった世界である。ぺダンティックな趣がありながらもこれだけの瑞々しさを保った作風は非常に魅力的であり、私自身もかなりの影響を受けた。

  しぼるとき器外れて地球儀の真紅の国に沁み沁む檸檬

  ひさがるる地球儀が見ゆ群青にかこまれてそこまぶしき国家

  終末へ世界は熟るる鮮烈に割れて石榴のごとし地球儀

  もてあそぶ地球儀めぐれすみやかに母国の位置を見失ふまで

  めぐり止むたび憂愁の横顔をわれに向けゐるごとき地球儀

 「檸檬」同様に頻出するモチーフが「地球儀」である。地球儀は球形であり、そのなかに無数の「国」を抱える。檸檬や石榴といった果実になぞらえられるのも特徴的である。地球のミニチュアとしての地球儀、そこから「国」を捉えようという視点は、日本という国の国家像がある程度固まってしまった安保闘争以降の時代にもリンクしているように思える。「割れる」こと、「見失う」ことを望む心情には、檸檬爆弾をしかけて無力な己を慰める気持ちのありようにも通じるのだろう。  

  たそがるる鉄路横切りゆくわれに貨車連結の音きびしけれ

  うつむきし瞬時踏絵のイエス見ゆ色盲検査紙の極彩に

  楽器店にて嘘言ひしわが頬は殴たる開放弦のひびきに

  哲学書ひらく少女よ「存在」は風に揺れやまざりしプディング

  弦楽器弦おのづから断(き)るることありや詩人の死に自殺説

  天の底澄みつつ人気(ひとけ)なきままに畢(をは)る二月の銅版画展

  はつなつの少女が展翅板上に置く蝶類のごときてのひら

  福音書のみ置く秋のテーブルにひかりはやはらかく降つてくる

 これらの歌の共通点は、「漢字三文字以上の熟語が詠み込まれている」ことである。中でもK音とG音が含まれるものが多い。漢語を積極的に取り入れることで韻律の改革を果たしたのが塚本邦雄であるが、江畑はそのDNAをよく引き継いでいる。硬い響きであるK音とG音から湧き出す世界観は、緊張と耽美のせめぎあいである。私自身こうした歌を偏愛するあまり三文字熟語の入った歌ばかりになってしまった時期がある。それくらい魅力と感染力の強い文体なのである。江畑實はある意味もう一人の塚本邦雄なのかもしれない。戦後に生まれ、平和の中で育つはずだったもう一人の塚本の姿の幻が、影としてつねに寄り添っているのである。