田村元(たむら・はじめ)は1977年生まれ。北海道大学法学部卒業。1999年に「りとむ」に入会し、2002年に「上唇に花びらを」で第13回歌壇賞を受賞。2012年、第1歌集「北二十二条西七丁目」を刊行した。
歌集のタイトルは北大時代に居住していた札幌市の地名である。番地ではない。数字で区切られたこのデジタルな名称が、れっきとした地名なのである。このタイトルからも、客人として青春時代を過ごした札幌の街への批評的な視点が見て取れる。
靄かかる北大演習農場を歩めり何を探すでもなく
ひとり来てみればカモメが鳴いてをりきみが碧いと言つてゐた海
リーダーズ英和辞典も六法も荷物の中にまぎれて見えず
卓上に饐えてをるなりわが肉となり損ねたるジャンクフードが
急行が置き去りにせし駅の名をいとほしみつつ夏過ぎにけり
くれなゐのキリンラガーよわが内の驟雨を希釈していつてくれ
春怒濤とどろく海へ迫り出せり半島のごときわれの〈過剰〉が
群馬県出身の田村は進学のために北海道に渡った。大学の進学程度ではその地に骨を埋める意志にはつながらなかっただろうが、わざわざ「北上」をすることは何らの理由もなくは行われない。地理的に近い東京ではなく北海道の大学を選ぶこと。それには何らかの〈過剰〉を持て余す精神があっただろう。
もう何処へ行つてもわれはわれのまま信号待ちなどしてゐるだらう
弘前の桜を咲かせゐるころか前線はきみへと北上しつつ
サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひをり赤い月見て
外つ国に吹く爆風のやうにわれも浮寝の鳥も首都の一部か
ぬばたまの常磐線の酔客の支へて来たる日本、はどこだ
答ある問ひを尊び選択し1か4かを決めかねてをり
今もなほ何かの関になつてゐる霞が関に木の芽がうづく
シャチハタの名字はいつも凛としてその人の死後も擦れずにあり
中盤からは東京での社会人生活の歌となる。基本的にはサラリーマンの愚痴であるが、「発見」を歌の基本に据える方針がべたべたとした生活臭を抑えており、暗いムードに停滞することを防いでいる。また恋人を北海道に残してきて遠距離恋愛になったと思しき描写もある。
しばしば「常磐線」が登場する。通勤で使用していたのだろうが、千葉のニュータウンから東京の下町を経由して日本の中枢へと入っていくこの路線は、ある意味日本の縮図のようにもなっている。かつては石炭輸送を目的とした路線であった。山手線や中央線には、常磐線ほどの生活の苦味が感じられないように思う。
七百円の中トロを食ふ束の間もわれを忘れることはできない
Die Welt(世界)とは女性名詞であることをかなしみにけり飲食(おんじき)の後(のち)
その間(あひ)に海老フライ二尾横たへて男ふたりの短き午餐
空を見ることにしてゐる北松戸のマクドナルドで人を待つとき
面白きこともなき世のラーメンにちよつと加へる行者ニンニク
二十代過ぎてしまへり「取りあへずビール」ばかりを頼み続けて
サラリーマン塚本邦雄も同僚と食べただらうか日替ランチ
湯の中にわれの知らざる三分をのたうち回るカップラーメン
〈こだいこ〉のラーメンわれら啜りつつ三十代はぽんぽこである
飲食の歌が非常に多い。とりわけラーメンがやたらと出てくる。飲食はひたすら似たようなタスクをこなし続けなければならない生活の象徴なのだろう。そして「空を見る」「ちよつと加へる」などのわずかな差異をスパイスとして生活に振りかけることに希望を見出す。塚本邦雄の日替ランチ、湯の中のカップラーメンといったささやかな想像もまたスパイスである。田村元の短歌は現代のホワイトカラーを巧みに活写した生活詠であり、また優れた都市批評としても機能しているのだといえる。

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