トナカイ語研究日誌

歌人山田航のブログです。公式サイトはこちら。https://yamadawataru.jimdo.com/

現代歌人ファイルその158・大野誠夫

 大野誠夫(おおの・のぶお)は1914年生まれ、1984年没。茨城県龍ヶ崎中学校卒業。十代の終わりに画家を志して上京し、同じ頃に「短歌至上主義」に入会。杉浦翠子に師事して作歌を始めた。「短歌至上主義」解散後は「鶏苑」を経て「砂廊」(のちに「作風」と改称)を創刊した。
 第一歌集の「薔薇祭」は1951年の刊行。現代的な雰囲気の作品が目立つ。

  降誕祭ちかしとおもふ青の夜曇りしめらひ雪ふりいづる


  クリスマス・ツリーを飾る灯の窓を旅びとのごく見てとほるなり


  兵たりしものさまよへる風の市白きマフラーをまきゐたり哀し


  花のやうにバラックの町に灯がともり今宵あたたかき冬の雨ふる


  ジャズ寒く湧き立つゆふべ墜ち果てしかの天使らも踊りつつあらむ


  銀色に光れる罐を並べ売る白きインコを肩にとまらせて


  音しづかにジープとまりぬいのち脆き金魚を買ひて坂下りゆく

 焼け野原といえる時代の戦後の都市風景が幻想的に描かれている。戦争の鎖から解放されていきいきと広がる「クリスマス・ツリー」や「ジャズ」といったアイテム。もともと画家志望で熱心な映画ファンでもあったためか、映像的な演出と場面の切り取り方が特徴的だ。「白きマフラー」とは戦時下のヒーローだった航空兵の証なのだという。敗戦によって価値観が大逆転してしまった世界の混乱と虚無感。歌全体に広がるまぶしいキラキラ感が余計に悲しくさせる。

  惜しみなく愛せしことも美しき記憶となして別れゆくべし


  傘掲げ駅頭に待つ妻のむれ夕まぐれ淡き雪は包まむ


  しぐるる街逢ふは貧しき顔ばかりひげぬれてゆくサンタクロウス


  人知れず脱皮を終へてしばらくは光のなかにうづくまりをり


  噴水のしぶきに架かる虹の橋風吹けば散りひと世の錯誤


  川べりの故郷遠くしてはらからの知らざる家に水音を聴く

 第2歌集「行春館雑唱」は1954年刊。以降の大野は二度の離婚を経験し子供と引き離されて暮らすことになるなど、家庭に恵まれなかったそうだ。その影は孤独な父親像としてしばしば歌にもあらわれているが、それを実人生と重ねられることは周到に避けていた。大野の基本的なスタイルは反リアリズムであり、己の美学に殉じることだった。

  忘られて銀髪ひかる俳優が一人シートにねてゐる夜汽車


  去りゆかむわれを黙(もだ)ふかくみつめゐし父なりしかば面影消えず


  戦場にゆかざるゆゑの負目(おひめ)にも言葉なくわれは長く耐えにき


  冬の夜の舞台を鎮めひとり舞ふ役者の老いのすずしかりしよ


  われを待つひとりだになき水の辺の寂れし村に行きて何せむ


  寂しかるわれをいかばかり慰めし銀幕の星の虚像を愛す


  人前に見せぬ泪を劇場の薄闇にゐてとどめんとせず

 「俳優」「役者」というモチーフは、幻想を愛し演出を好んだ大野の自画像のようにも感じられる。坂出裕子の評伝「無頼の悲哀 歌人大野誠夫の生涯」には、実人生をそのまま切り取ることを拒んだ理由を裏付けるような苛烈な前半生が描かれている。「幻想」が持つ意味とその力を改めて感じさせる歌人である。

大野誠夫秀歌鑑賞200

大野誠夫秀歌鑑賞200

無頼の悲哀―歌人大野誠夫の生涯

無頼の悲哀―歌人大野誠夫の生涯