相良宏(さがら・ひろし)は1925年生まれで、1955年に結核で没した。中央工業専門学校(現・中央大学理工学部)航空機学科中退。アララギ系の短歌結社「新泉」にて近藤芳美の選を受け、後に「未来」の創刊に参加した。没後の1956年に遺歌集「相良宏歌集」が出ている。
戦後の代表的な病床詠歌人である。ベッドを中心にした小世界のみで作品が完結しており、描かれる領域はとてつもなく狭い。
白壁を隔てて病めるをとめらの或る時は脈をとりあふ声す
高窓をかがやき移るシリウスを二分ほど見き枕はづして
しばしばも脈細くなる冬一日読みつぐ表紙古びしチェホフ
竹群の青き光にもつれゐし揚羽ら不意に別れゆきたり
うつつなく聞きゐし遠きひぐらしの声は窓べのこほろぎとなる
ゆきめぐりコスモスを切る冴えし音心に遠く聞きて臥すなり
ささやきを伴ふごとくふる日ざし遠き紫苑をかがやかしをり
作中主体がほぼ寝たきりで動かない。病室から見える風景からいかに世界を広げられるかの挑戦にすら思えるほど、表現の微細さにこだわっている。病人だから自然とそうなるというだけではないように思う。意図的に「静」の描写を究めようとしている。
ことごとに傷つきし夜の月かげに稚き巻髪を思ひ眠りき
繊く裂きし紙をスカートに並べつつ言い出でし語に長くこだはる
わが坐るベッドを撫づる長き指告げ給ふ勿れ過ぎにしことは
髪垂れて咳込む白きブラウスの背も撫でがたき人となりしか
読みゆきて会話が君の声となる本をとざしつ臥す胸の上
相病みて我より広く生きしさへ淋しき春の霙ふるなり
かがやける高き若葉に風ひびき待ちて逢ひ得む日を錯覚す
正岡子規も病床で微細な視点を練り上げることで近代短歌をつくり上げた。病床詠は短歌の原点かもしれない。しかし相良が子規と決定的に異なっていた点は、相聞というかたちで〈私〉以上に他者たる〈君〉を描き出そうとしていたことだろう。同じ病気を患っていた女性への想いが透明感のある表現で綴られ、永遠の別れの深い悲しみもかなり抑制されたトーンである(ちなみに相良の恋愛や人物像については大辻隆弘「岡井隆と初期未来――若き歌人たちの肖像」に詳しい)。相良の視点は常にピンホールカメラのように一点に向かって研ぎ澄まされている。「愛」や「死」といった抽象的なテーマすらも、微細な動きとして具象化されて表現される。
華やかに振舞ふ君を憎めども声すればはかなく動悸してゐつ
指白くドアの把手をまさぐれば美しければ虚偽多きかな君も
告白を拒むがごとき明るさに頬震へつつ我のまむかふ
エチュードのタッチ粗しと臥しながらわが私の涙が兆す
脚あげて少女の投げし飛行機の高さコスモスの中にとどまる
相良にとっては自らの余命よりも愛する人の余命の方がはるかに大きな問題だったのだろう。そういった点で、相良は自我の過剰さから遠い存在だった。相良の真っ白に澄み切った世界観。それは〈君〉なしでは存在しえないものだった。自らの命にはとっくに諦めをつけ、愛する人の命ばかりをひたすらに考え続ける。そういう状況が生じたとき、〈私〉は微細な小世界のなかで視点を収縮させながら、同時にまるで神のように俯瞰した視点を手に入れることができる。そこから生まれる透明な世界の不思議さについて、相良はある程度自覚的だったように思える。自我が強い傾向にある子規の病床詠を意識したうえでの、文体実験の成果がこの世界観だったのかもしれない。
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