成田れん子(なりた・れんこ)は1927年に生まれ、1959年に33歳で逝去した。北海道在住で、病気がちの身を抱えながら作歌活動を行ない、1951年に第1歌集「笛を吹く魚」を刊行した。詩や童話なども書いていたが、その後は忘れられた歌人だったようである。2010年に檜葉奈穂が「歌人探究 成田れん子論」という評伝を出して再び掘り起こされた格好である。
この評伝にはもちろん歌がたくさん引用されているのであるが、読んでみるとかなり驚く。ファンタジックで童話的な世界が展開されており、かなり現代的なのである。
白蓮の花ひらくごとく地よ今日の大空を降る雪に匂わむ
わが心に銀色の鈴よさらさらとうち鳴りてかなし今日もまたあわず
白銀の陽火の中に放されし月の顔して影をゆく猫
黙然と消毒液にひたされてわれはさびしく舌を出す貝
セピア色の風吹く中に白々と電柱を噛む山羊がをりけり
月光の器の中に月光を啜りてやがて凍化する魚
蜜蜂よ今日天海に惑星のさびしく光る影や見にけむ
「笛を吹く魚」は幻想的で難解な歌集として周囲の歌人たちには受け止められたようだ。そして誰も真似の出来ない個性の強い歌だとも見られていた。猫、貝、山羊、魚、蜜蜂など非常に多くの生き物が登場するが、いずれも現実から一歩はみ出た存在のような描かれ方である。成田の歌は病弱であったことが深く影響しているが、それは身体への意識の強さ以上に、身体から離れた空想世界の紡ぎ方に特徴がみられる。
水を恋う 氷華の下の水を恋う わが身ひたして癒えむとねがう
銀の笛森に透ればあなあはれ魚のごとくにゆく乙女あり
氷原の入りつ日赤しこの乙女青き愁ひを焚きはじめたる
白き衣翼のごとくひろげしがとび一輪の日に行かず去る
唇ふればああそのままに身はきみにながるるごとき炎なりけり
きみがいのちをののきて受くる日もあれや月晶此処に満ちてふりつつ
秋深きいぶり露原りんだうの花にともりてゆく身なりけり
成田の歌は一貫して清浄な雰囲気に満ちており、冷気のように凛としている。澄み切った世界を恋う気持ちが歌の中に充ち満ちている。評伝には病身をおしての激しい恋愛と、出産による死去という人生が語られている。しかしそういった人生のドラマを抜きにしても、一瞬の生命の輝きをピンナップされた少女といったイメージが沸き上がってくる。
生きのびしことのたしかさ痩腕の皮むけばあらたしき皮できてゐる
命絶ゆることなし白き凍林に金の魚鳥を放ちて遊ぶ
ほろほろと死も夕映えの花ならむ逢ひの極みに臥して恋ふれば
ただふたり暮れ残されてあるごとき野のつめくさの夜にてありけり
あかあかと水脈(みを)にうつりてはてしなき吾が火の色は天にかへさむ
病床詠や死を意識した歌も少なくない。それはときに一首目のようにかなり生々しい言葉を使って描写されることもある。しかしやはり印象に残るのは死後の世界を幻視するかのようなファンタスティックな歌である。後出しの解釈になってしまうが、やはり夭折の予感を持たされる歌だと思う。同じように童話を書いていた北川草子にも近いものを感じる。成田のような清新な作風の歌人が掘り起こされることは、大きな刺激になる。いい評伝が出されたと思う。