トナカイ語研究日誌

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穂村弘百首鑑賞・77

  今ふいにまなざし我をとらえたりかなぶんの羽の中央の線

 掲出歌は第32回角川短歌賞次席となった「シンジケート」50首に入っている歌であり、歌集にまとめられるにあたって落とされた歌である。このように、次席作品に入っていながら落とされた歌は全部で8首あるのだが、それらの歌には文語脈のものが多い。選考会の場で「シンジケート」は、受賞作である俵万智「八月の朝」などとの比較において「古風」「文語の骨がある」と評されている。これはなかなか意外な事実である。デビュー時点においては前衛短歌の影響のせいか、「ポップだけどやや古風」という印象のある作風だったのである。
 掲出歌は「我」という文語的一人称が使われている点で以降の作品と一線を画しており、また歌集が編まれるにあたって落とされた理由なのではないかとも思う。また「今ふいに」という表現も少し安易でもったいない感じもする。しかし「かなぶんの羽の中央の線」は非常に穂村弘らしい着眼点と表現である。

  あ かぶと虫まっぷたつ と思ったら飛びたっただけ 夏の真ん中

 「ドライドライアイス」所収のこの歌を連想させる部分がある。この「中央の線」はずっと続いていくものではなく、飛び立つときにはぱっと開かれて二手に分かれてしまうものである。「中央の線」という表現をしたとき、都市派歌人の頭には「中央自動車道」のイメージがあったのではないかと思う。鮮やかな光に照らされながら。ひたすら似たような一本道をずっと走り続けるイメージ。そこに時代性との共鳴を感じながらも、倦怠感をもまた感じていたのかもしれない。「我をとらえたり」でいったん句切れがあり、そこでかなぶんへとイメージが飛ぶ。自分が本当はまっすぐ続く道に倦んでいること、社会を遊離して飛翔したいと願っていることを見透かされたという思いがこの唐突な転換にはあらわれているように思う。