熊岡悠子(くまおか・ゆうこ)は1990年に「ヤママユ」に入会し前登志夫に師事。2004年に「茅渟(ちぬ)の地車(だんじり)」で第15回歌壇賞を受賞。2005年に第1歌集「茅渟の海」を刊行した。
師匠である前登志夫は人と神とが混じり合うような奈良・吉野の土俗的風景を詠み続けた歌人として知られる。熊岡もまたその衣鉢を継いでいるが、彼女が舞台として選びとった地は「だんじり」で著名な故郷・岸和田である。だんじりという「祭り」を媒介に異界と結合する街の風景が活写される。
空も水面(みづ)も光の亀甲揺らぎ満ち朝の浮力は白雲に似る
雨の日はくぢらの背中をゆくやうに陸橋わたる 町は灰色
うづくまる獣のやうな影見せて地車の骨と骨組まれゆく
彫り込んで暗き空間ふかめゆく青年の鑿退学の日々
「祭りまで」が町の口ぐせ残暑も家の普請も病のことも
沖あひに魚の群れる夜明け前一番太鼓町にひびきぬ
船底を打つ波音に似たるかな太鼓にひと日ゆりあげられて
「茅渟の地車」はまさにそのだんじりを描いた連作であり、ものすごいパワーと熱気に満ちている。祭りに命をかけているような町の描写が、晩夏の暑気とともに伝わってくる。師匠の前が吉野の自然と人ならざるものに強い関心を示すのとは対照的に、熊岡の最大の関心はあくまで岸和田に暮らす人間たちにあるようだ。
秒きざむ、ターンの姿勢世界蹴り肢体一本の水とのびゆく
太陽にあはせ帽子の角度変へ島のひと日をわれも日時計
ぐわらぐわらと島の太陽しづむなり牛も老婆もみな海向きて
水時計空にしまはれ七月のあさを街路樹海の香放つ
視野すべて空となりゆく夏の坂のぼりつめれば海に開ける
雨あがり森の湿りをとび跳ねて野うさぎ立てり耳尖りゆく
水底にも空はあるなり泳ぎゐるかたへを鳥のながされてゆく
「茅渟の海」という歌集はその大半が旅行詠で構成されており、紀行歌集とすらいえる一冊だ。沖縄や屋久島、北海道、ネパールにいたるまで実にいろいろなところに行っている。しかしどこに行っても夏と海の気配をどこか探し続けており、「泳ぐ」イメージが印象的なほど繰り返される。おそらくは太陽と水に対する渇望が歌を詠むこの原点にあり、そして原風景として心に秘め続けている岸和田へと帰ってゆくのだろう。
太陽の時間と名づけ会ふ午後の限りなくふかき空の青なり
みぞおちのあたりにどくんと口開けるいそぎんちやくのやうなる不安
やけ焦げて黒き洞抱く大杉のなほ太陽へ枝のばすなり
生まれこしことのうれしさ太陽に向かひて泳ぐひれ透けるまで
ひろき胸鰭(むね)に貝のかたちの痣残すうすれゆくまでわたしの海面
しんしんとまつこうくぢらの潜りゆく海の昏さをわが髪持てり
海に沈む船もありにきいつまでも来ぬ地車を媼待ちゐる
潮をふく鯨のことなど語りをり重なる山のそのとほき海
キッチンにラムネの気泡あふれ出て緑の海のすずやかに立つ
「太陽に向かひて泳ぐ」というのが熊岡の資質を何よりも表現しているだろう。そしてだんじりに盛り上がる夏の岸和田こそが熊岡にとっての「太陽」なのだ。あとがきにはこう書かれている。「それらひとつひとつがばらばらの旅でありながら、深いところで大きなうねりとなってきていることが私には少し恐ろしく、そのうねる流れの存在をよりくっきり掴み取りたいという願望はきらめくような魅力でもある」。太陽を求め泳ぎ続けるような旅の果てにたどり着いたのは、実は故郷だったのか。沈みゆく夕陽でも静かな月でもなく、ぎらぎらと輝く真昼の太陽をここまで魅力的に詠める歌人は、案外少ないように思う。
- 作者: 熊岡悠子
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