飯沼鮎子(いいぬま・あゆこ)は1956年生まれ。1990年に「未来」に入会し、大島史洋に師事。1992年に短歌現代新人賞を受賞し、1994年に第1歌集「プラスチックスクール」を上梓。1999年には「サンセット・レッスン」でながらみ書房出版賞を受けている。
日本語教師としてイギリスに在住していたそうで、イングランドを舞台とした歌がある。
イングランドの羊眠らせ春の陽はためらうごとく沈みゆくなり
赤き印背につけられて羊らは刈られる順を陽だまりに待つ
千年も前から君を好きだった ストーンヘンジに滲む夕つ陽
スペインの少女と座る二時限目ヒロヒトの死を問われていたり
紺碧の空の創(きず)より降りて来し少女かアテネ神殿にたつ
ワイン漬けの休日君とチェスをして城(ルーク)はあげる騎士(ナイト)もあげるわ
海外詠ながらあまり世界に向かって大きく羽ばたいている印象はない。むしろ内省的である。飯沼が真に開かれていくのは帰国してから塾教師として思春期の少年少女たちと交流するようになってからのようだ。口語をふんだんに遣った甘やかな歌も、いっきに進化を見せ始める。
夕ぐれは小鳥の声を流しおりアーケード付きの塾の階段
少年の胸はさみしきサンドバック打つ人もなく唸り続ける
頒かりあう言葉持たねば揺らしいるあじさいの花海となるまで
わがうちの sentimentalism 潰しても潰してもある苺のつぶつぶ
始まらぬ恋というのも楽しくてスコールみたいなジャズ聞かせてよ
<アネモネの語源は風だよ>受話器より少し明るき父の声する
あるるかん モンマルトルの丘に立ち大欠伸したきみに逢いたい
傷つき悩み苦しむ少年少女たちと正面から向き合い、またときには自分自身の傷とも向き合い直す。そんな世界がおおらかでまっすぐな修辞とともに表現されており、好感の持てる作風だ。実は社会詠も多く、憲法や君が代の歌もある。〈右ひだり彷徨いながら腐りゆく党あり老いて父は見捨てず〉という歌があるあたり、父親は旧社会党員だったのだろうか。
かなしみが透き通るまで抑えよと言いき<月光>を弾く傍らに来て
君にわれに見えざる疵のひろがりて署名簿ひとつ埋められてゆく
傷もたぬプラスチックの青春を楽しみながら蹴飛ばしながら
君の画くわれは夕ぐれ昏昏とソファに眠るオレンジの魚
悲しいなら傷つけてごらん透きとおるガラスになって待っているから
路地裏の珈琲店の窓辺には泣き出しそうなバイオリンがある
「透き通る」「傷」がキーワードであり、また第1歌集のタイトルにも冠されている「プラスチック」が深い意味を持っている。飯沼は自分の青春がプラスチックのような輝きを放っていて、本物の深い傷とは無縁であることに自覚的である。そしてそれは苦悩を抱える塾の生徒たちも同様だ。作者の父親のほうがはるかに大きな挫折と傷跡を持っているのかもしれない。
今の苦しみなんて大したものと感じなくなるくらいの巨大な挫折が、これから先にきっと待ち構えている。それを予感しながら、あえて未来に切りかかっていこうという意志を表現しようとしている歌人なのだろう。傷はあくまで傷であり、あった方が人間的に上というようなものではない。しかし、似たような傷によって連帯しうる他者はいる。つねに他者と感情を共有できるような「透明さ」をもって開かれていたいという願いがあるのだろう。