樋口智子(ひぐち・さとこ)は1976年生まれ。1999年「りとむ」に入会し、2006年に「夕暮れを呼ぶ」で第17回歌壇賞受賞。2008年の第1歌集「つきさっぷ」で第15回日本歌人クラブ新人賞を受賞している。
「つきさっぷ」というタイトルは札幌市の地名「月寒」のアイヌ語呼称。そこからもわかる通り、北海道在住の歌人である。
きいこおきい たったひとりで唄ってるブランコ揺れる公園の空
影ばかり先へと急ぐ帰り道のびろよのびろストーブともせ
振り向いて「あたしたち」っていう日々のひどく眩しい坂道を見る
しろつめくさのはらっぱ割ってけもの道たどれば何処に還れるだろう
自転車の精が目覚めてベル鳴らす花芽草の芽もう時間です
不在という空間のなか透明なキリンが闊歩している真昼
蹴り上げた缶の先から夕焼けて落下する陽に少年ら散る
あやまちて粉薬舞う靄のなか違う答えが一瞬見える
メルヘンチックな空想と童話的な世界観が、作風の柱となっている。「目に見えないけれどそこにいるかもしれない」存在に非常に敏感である。そして視力だけに頼らず全身の感覚をもって「見えない存在」に向き合おうとしている姿勢が印象的である。樋口の世界観は、無数の精霊の実在から成り立っている。歌集の表紙を手がけている片山若子の淡い水彩の装画も、まさに精霊の絵だろう。
この街に画家が記した「のろまなポプラ」のろまなポプラは楽しき呪文
ブランコの椅子がはずされ枠ばかり しんしんしんと白が重なる
そばかすのことは忘れて陽のひかり全方位から浴びたき四月
ススキノは薄野である 真昼間を図書館行きの電車が出ます
百合が原ひまわり団地あいの里 花の名たどって家路につかん
未完のままベニヤに浮かぶ半馬ありあの世とこの世に身を分けながら
画家は去り馬も季節も去りゆけど画家の明日を絵の中に知る
「のろまなポプラ」の元ネタは三岸好太郎、「半馬」は神田日勝。どちらも北海道では著名な画家である。樋口の描く世界も絵画的といえる部分があり、風景を一瞬のなかに封じ込めたいという意識が歌から感じられることが多い。また「図書館行きの電車」「百合が原ひまわり団地あいの里」は札幌市内の交通状況をそのまま詠んだだけというある意味では何のひねりもない歌なのだが、ただそれだけのことがこんなにもファンタジックに見えてくることがある。これらから感じられるのは、樋口が身の回りを取り囲んでいる当たり前の日常を積極的に異化して、メルヘン空間を創り出す志向があるということだ。最初からすべてが空想ではなく、現実との地続きの向こうに不思議な世界は存在するのである。
視力表 てとこにけさくてけりくに 七五調で読む老人ありき
暗室に対座しており見える者見えない者を隔てる灯り
まなこにはわたしが映る君の中の私の中の 呼び交わす声
幸いはくもり無き目に映るもの 姫も王子も眼鏡はいかが
生き死にに関わらぬと言うは易しあの傷だらけの白杖を見よ
耳で〈見る〉わたしは微笑(わら)ってますように 鏡のようなまなこに願う
歌集の中には眼科医院を舞台とした職場詠があり、その部分だけはリアリズムの手法で描かれている。作者は眼科に勤務しているのである。「目」に着目した歌の多さや、「目」に頼らず身体全体で世界を感じようとする志向の歌が多いのも、そこに由来する。目で見える世界はやはりこの世界のほんの一部でしかないのかもしれない。ちょっと目を閉じてみるだけで、世界はいっきに不思議なものに変わっていくのかもしれない。それはきっと恐怖ではなく、どきどきするような興奮だ。生活のなかにも、ファンタジーはいくらでもあふれているのである。
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