トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその106・大久保春乃

 大久保春乃(おおくぼ・はるの)は1962年生まれ。1988年「醍醐」入会、槇弥生子に師事。2000年「醍醐」新人賞受賞。2004年より「熾」に移って活動している。歌集に「いちばん大きな甕をください」「草身」がある。

  われを抱くあなたの髪のやさしくて両の手の指そと差し入れる

  コーヒーカップと煙草を持ってあまっている小指をひと夜貸して下さい
  オーバーコートの中で大事に握っているあなたに借りたあなたの小指
  上から三つ右から二つめの引き出しに銀の指輪は息つめている
  雪印ナチュレに伸びる君の指は僕だけのものでなくてはならない

  君の指にほどかれてゆく髪の束「あなたを生きてみたい」だなんて

  君の五感が五本の指に集まって爪の先よりつるりとぼくへ

 第一歌集の「いちばん大きな甕をください」からである。透明感のある若々しい相聞歌と、日常に疲れたような主婦の生活詠とが不思議なバランスで混じり合っている歌集であるが、「指」の歌が異様に多いことに気づく。「小指を借りる」というテーマなど、川端康成の「片腕」のようで歪んだフェティシズムが感じられる。解説の森本平は大久保の短歌の特徴として、日常感覚の延長にあらわれる悪意と逸脱を指摘している。ばらばらに刻まれたような「指」の描かれ方は、攻撃的にならない日常からの逸脱を象徴する「突端」なのだろう。

  わたくしの前行く人の耳の影ほた、指の影ほた、ほた 闇に
  ほたるの交す光は浅い息のようで もう一度、と言いそうになる

  この世の外をめぐりては夜ごと帰り来る月なればことづてのひとつも

  女ふたりの声入れ替わり立ち替わりみどりの水のめぐりに生れて

  あなたがまだわたくしの幻だったころいつも磨いていた玻璃の窓

  「ひろやすさんと行くのそれとも夜と行くの」問いただされてカメムシになる

  君の触れねばわれも触れえぬさみどりの水のめぐりを二人めぐりぬ
  三十五篇の詩からあなたはゆっくりと引き潮になってゆくのだろうか

 第二歌集「草身」では表現手法により深みが生まれる。抽象性の高いシュールな表現が多くなり、また「めぐる」「すれ違う」イメージが多用されるようになる。「いちばん大きな甕をください」の後書きが幼少時の思い出から始まり他者との関わりを描いた具体的なエッセイであるのに対し、「草身」では「たくさんの別れと出会いがありました」と他者との関係をかなり曖昧にとどめていることも興味深い点である。

  うねうねとS字に曲がるテーブルで他人八人目を伏せて食む
  のっぽの男ひとり沈めておくのだから一番大きな甕をください
  植木鉢三つあなたの位置に据え九月一日終日を病む

  血の混じる卵を見たら日暮れまでだれとも口をきいてはいけない

  内海(うちうみ)の丸腰サザエ網の上にじゅじゅと螺旋のいのち閉じゆく

  青光るうろこの魚が窓に寄りこのわたくしも生身だと言う
 日常からすっとはみ出していきたがる志向はこういう歌にとりわけ顕著に表れているように思う。日常とも幻想ともつかない、不思議な怖さのある歌である。歌歴を重ねるほどに歌から他者の影が消えていくという珍しい特徴のある歌人といえる。しかしそのことは逆にひやりとした凄みを与えていっているのである。