トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその62・杉原一司

 杉原一司は1926年生まれで、1950年に23歳の若さで亡くなっている。現在において杉原の名前は、もっぱら塚本邦雄の親友として知られている。天理語学専門学校(現在の天理大学)フランス語学科を卒業。「日本歌人」にて前川佐美雄に師事。1949年に塚本と同人誌「メトード」を創刊するなどしたが、歌集を持たぬまま夭折。その死は、塚本に大きな衝撃と影響を与えたようだ。
 杉原の短歌は、一読すると驚くくらいに塚本そのままに見える。豊富な語彙を駆使したペダンティックな漢語の遣い方と、ほのかな青春性。それを見るにつれ、一般に塚本節と思われているものは実は杉原節なのではないかと思ってしまう。塚本は、夭折した親友を歌の世界の中にだけ生き残らせるべく自らの身を捧げたのではないかとさえ感じるのだ。なお、今回の引用は「現代短歌大系」の夭折歌人特集の掲載作品を下敷きにしている。

  ドン・ファンの指にて石化せし後の半裸像内にある全裸像

  花らみなあくびする夜半寝室のたなにおき忘れた録音器

  フラスコや振子はらばふ岩のかげ燈を消していま寝る深海魚

  射倖心、ルーレット、自棄、思惟にいま絡みつく人体骨格模型

  はづせない腕環を誇る女との波紋の中の廃嫡子爵

 いずれも、塚本の歌集に入っていてもおかしくないような歌である。漢熟語による体言止めがどこか異世界的な空間を形作っている。これらの歌の特徴は名詞に力点が置かれた歌だということだろう。「この名詞を遣いたい」という思いが先にあって、名詞をもとに歌を作り上げていくような作歌方法だったのではないかと思わせる。それだけ名詞の遣い方が特徴的なのである。

  いやらしいジャンヌ・ダルクの壁掛も弾痕をただ隠さんがため

  奇術よりもつとたのしいけだものの牙を挿入する隆鼻術

  雲ふかく没するほそき吊革にぶらさがつてるおびただしい手

  なよなよと草たちがゆれ触覚を喪失し寝てゐるゆび白い

  時計などもたないわれは辞典とか地図とかを読み楽しく過ごす

 わずかながら、口語混じりの歌も散見される。どことなく跳ねて飛び回るようなリズムをもったささやかな口語である。「奇術よりもつとたのしい〜」という表現は、古い看板に書かれた広告コピーのようで、うきうきするけれどもどこかシニカルな香りも残る。

  ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて秋晴の街にあそび行きたし 前川佐美雄

  ひじやうなる白痴の僕は自転車屋にかうもり傘を修繕にやる 

 シュールで奇想のような世界観は、師である前川佐美雄から摂取した部分であろう。こうして見ると、前川→杉原→塚本というモダニズム短歌から前衛短歌へと到る流れが見えてくる。モダニズムが前衛へと変質していくなかでもっとも変化したのは、句跨りなどの韻律面よりもむしろ名詞の扱い方なのだろう。とりわけ漢語である。やわらかな和語ではなくあえて硬い響きの漢語を多用することで立ち現れる新しい音楽性と中毒性。そのことにいちはやく気づいていたのが、実は杉原だったのかもしれない。

  とめどなく撞球台をあふれ出るなめくぢと窓に見える砂漠と

  まはり澄む独楽のしづけさみつめゐてしばしはとほるわがこひごころ

  足跡が雲となる日の潮風に風力計がまはる目がまはる

  倒れくる鏡の裏に何があるおとぎの国かいな死者の国

  サラダの皿、その裏がはにつづられし女給仕の愛のうちあけ

  わが夢をあざむくものの中にありてひとつだけ清き夏空の雲

  薄いコップの縁に残せる指紋など忘れて夏の陽ざかりを野を

  押せばひらくドアをくぐりて出でしときひくく垂れたる雲をみとめぬ

 これらの歌には、ペダンティックな中にもさわやかに吹き抜ける風のような青春性がある。寺山修司とも相通じる世界観である。杉原の歌には死の匂いがべったりと貼りついているように見えるのは、彼の夭折を知ったうえで読み始めたからばかりではないと思う。青春の時期は真夏のように輝かしいが、あまりに短い。その短い生涯すべてを青春として生きた歌人は、「一度きりの戻らない時間」を短歌によって必死に固定しようとしたのだろう。そしてそれはときに、永遠の輝きともなるのである。