上野久雄は1927年生まれで2008年没。横浜専門学校(現・神奈川大学)中退。1950年「アララギ」入会、近藤芳美の指導を受ける。1951年「未来」創刊に参加。1983年「みぎわ」創刊。山梨県を地盤として喫茶店のマスターをしながら活動していたという地方歌人であった。若くから歌を始めているが、第一歌集「炎涼の星」を出したのは1984年である。
アララギ出身の上野には、地味な写実の歌が多い。かなり胸にぐっとくる修辞の冴えた歌を繰り出してくる。
日ののこる石に来ていし夕鮎の水激しければ鰭うごくかな
夜の風に打ち合いている向日葵のひと呼ぶごとき黄の首の揺れ
春まだきひかりの下の錯覚に眼鏡の縁にとまる鳥あり
シースルーエレベーターは大いなる炎の如く聖夜を昇る
ねむりゆく闇に思えば亡骸にまわりつづけていし扇風機
この暗き流れの底を遡る五月の鮎のにおう星の夜
バケツより投げ出だされし円形の薄氷いまだ光りつづくる
渋味のある歌であるが、決して難解さはない。なるほど「うまい」とはこういうことなのかとつくづく感じさせる歌である。修辞が主役になってしまいかねないところを、ぎりぎりのラインで踏みとどまって静かな心理描写に転換させてみせる。本質的なところは叙情の歌人である。
紫陽花の卯月みずいろわが肺のあやうき音をききつつぞ咲く
一人病む夜のすさびに眠薬の壜の小文字を読みふけるなり
カロリーを計られてくる食膳のメロンに濡れて五月のひかり
サナトリウムに聴きおぼえたる旋律をすこし違えて口笛がゆく
螢ほっと黄いろのひかりひろぐなり病む少年をさびしがらせて
上野は若い頃に肺病を病み、そのことが歌へと向かわせる一因になったらしい。歌に満ちている静寂で清潔感のある雰囲気は、サナトリウムの経験から来るものかもしれない。病人ゆえに小さな世界でしか生きられないことに対する哀感は、年を重ねるごとに小さな生活を慈しむような優しいものへと変わっていく。
しかし個人的に印象に残るのは、その静寂さがときに甘やかなエロスへと転化しているような歌である。
消燈のころ世をしのぶごとく来て美しかりき汝がサングラス
どちらからともなく腕時計はずし合う夜半なれば他にすることもなく
言いかけて言わざることは夕べより朝(あした)に多く妻は坐れる
ひまわりの朝より炎(も)ゆる花のかげ素足の汝をのぼる蟻見ゆ
淡水より牛乳(ミルク)に溶けてゆきやすき若きハニーをたのしむ吾は
葉桜の色ませる坂恋愛をなすには足りぬ呼吸なるべし
ドアミラーに映してしばし停車せるこの人はじつに上手に笑う
入れ替り湯に入るときの呟きに「男って花火」かも知れぬかも
エプロンの下の素裸のにおうごとクリーミーなるスープ来たりぬ
夕闇にまぎれてゆきし向い家のあの年頃のくれないの合歓花(ねむ)
若い頃から死を意識して生きることは老成を促しそうにも思えるが、上野の場合は永遠の青春性をどこかに留めさせたようである。性欲から軽く遊離した清潔感のある相聞歌が、むしろ不思議なエロスを生んでいる。近藤芳美の初期の青春歌であれば清潔感のある青年のエロスという印象を持てるが、上野が描くのは身体からの自由を得た精神性のエロスかもしれない。長年の信頼によって築き上げた精神の感応が生み出すエロスだ。若い頃からの闘病が身体のはかなさを意識させたと同時に、人間同士の精神が混じり合っていくことの感動にも敏感にさせたのかもしれない。