杉崎恒夫は1919年生まれで、2009年に90歳で死去している。前田透主宰の「詩歌」を経て1984年に「かばん」に参加。1987年より「礁」編集委員。同年に第一歌集「食卓の音楽」を刊行。第二歌集「パン屋のパンセ」は事実上の遺歌集として2010年に刊行された。歌集はこの2冊のみである。
杉崎はある意味「かばん」を象徴する歌人であったといえるかもしれない。とても高齢者が詠んだとは思えない若々しい歌は、圧倒的に若い歌人に支持されていた。
不実なる手紙いれてもわが街のポストは指を噛んだりしない
熱つ熱つのじゃがいも剥けば冬眠からさめたばかりのムーミントロール
君の名はモモイロフラミンゴぼくの名はメールのしっぽに書いておきます
あたたかいパンをゆたかに売る街は幸せの街と一目で分かる
陽を浴びるカナヘビの子よやわらかいシッポにちょっと触っていいかい
さみしくて見にきたひとの気持ちなど海はしつこく尋ねはしない
あたたかい十勝小豆の鯛焼きのしっぽの辺まで春はきている
やわらかい口語と無垢な少年性。周囲を取り巻くごくありふれた日常をとても大切にしているような視点が、このあたたかな世界観を生んでいる。
噛むほどに五月の風もふいてくるセロリーは白い扇状台地
樹枝状のブロッコリーを齧るときぼくは気弱な恐竜である
大文字ではじまる童話みるように飛行船きょうの空に浮かべり
ペルセウス流星群にのってくるあれは八月の精霊(しょうりょう)たちです
思い出にはいつも雨などふっていてクロワッサン型の小さな漁港
仰向けに逝きたる蝉よ仕立てのよい秋のベストをきっちり着けて
大切に胸に抱かれ退場するチェロはいかにも一人のおんな
カウンターにぽつんと腰をかけている数直線の√2の位置
こういった「見立て」のうまさが印象的なポイントである。野菜やパン、蝉に楽器と見立てる素材がある程度限られている傾向がある。前衛短歌のように外的なイメージをどんどん取り込んでいくのではなく、あくまで自分自身の人生を構成するものへとイメージを収斂させていこうとする意志が働いているのだろう。外からのあらゆる刺激を自分の世界のなかで消化することこそが「感動」と捉えているように思う。
卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも知れない
ぼくの去る日ものどかなれ 白線の内側へさがっておまちください
いくつかの死に会ってきたいまだってシュークリームの皮が好きなの
バレリーナみたいに脚をからませてガガンボのこんな軽い死にかた
星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
矢印にみちびかれゆく夜のみち死んだ友とのおかしなゲーム
あたたかき毛糸のような雪ふればこの世に不幸などひとつもない
止まりたいところで止まるオルゴールそんなさよなら言えたらいいのに
そして最大の特徴と言えるのは、このような軽やかで現代的な歌い方をしていながら扱っているテーマが一貫して「老い」と「死」であることだ。このテーマを扱わない老歌人はまずいないが、アプローチの仕方の独創性という点で杉崎は群を抜いている。そして杉崎短歌の快さの核は、人生の軽やかな全肯定をしているところだ。ここまで自らの生を素晴らしいものだったと言い切りながら残り時間をのんびり消費しているような歌はそうそうないし、そもそもそんな人間自体あまりいない。実際に長い時間を生きてきたという事実の重みがこの「肯定」にはある。杉崎の歌の魅力は、少なからず作者本人の人間としての魅力でもあるように思う。