トナカイ語研究日誌

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現代歌人ファイルその120・柴善之助

 柴善之助は1915年生まれ。法政大学政経科第二部を卒業後、1955年に天ぷら食堂を開業。1987年「未来」に入会し、2002年に第1歌集「揚げる」で第10回ながらみ書房出版賞を得た。
 短歌は老人文学のように思われているが、実際のところ有名な歌人の多くは20代から30代前半にかけての間に第1歌集を出していることが多い。この柴のように70歳を過ぎてから短歌を始め、80代半ばで歌集を出すというのは意外に珍しい。前述のように本職は天ぷら屋さんである。「揚げる」という歌集のタイトルは、柴にとって「生きる」とほぼ同義であろう。

  吾が店は女子高の通学路朝夕の青春の囀りは一円にもならず
  吾ながら気むずかしき顔を街にさらし天麩羅を揚げたる三十三年
  支那海の海老は吾が掌に揚がり来る其のしなやかな反り赤らめて
  一斗缶横抱きにして鍋に張る今朝の油のかく美しく
  ハゼ、メゴチ泥に睡るを掬われ来て其の淡白な身を揚げらるる
 天ぷら屋の職業詠。こういった職人気質の歌人は、生活そのものが芸術と化しているのかもしれない。毎日ひたすら天ぷらを揚げる。一日が終わればリセットされてまたはじめから。その繰り返し。それに倦まない。「揚げる」というアクションをもって人生の真実に近付いているという確信があるようにすら思える。

  銀座線は初代地下鉄くろぐろと木組みに朝の水のしたたり
  静かなる海が墨田を容るるところ履き古りし吾がゴム長の許
  高層のトイレの白の森閑に少しの尿を置きて下り来
  時代物の鉄橋を渡って猫が来る河をはさみて一つ町なれ
  市役所は河べりに据えざぶざぶと葦原を分けて出勤はどうだ
  「山手線の真下にしては静かでしょう」陳列ケースの黄金(きん)のつぶやき
 柴が店を構えているのは渋谷区笹塚だそうで、こうした都市詠にも光るものがある。何でもない都市の一風景が異色をたたえていっきに立ち上がってくる。「出勤はどうだ」などの自然な口語がどんどん現れてくるのも特徴で、年齢のわりに詠みぶりが若い印象がある。

  山一つ隔て育ちし妻と俺と同じ日の雪に遊んだわけだ
  蜥蜴が居て土をこぼしてよこすんだ崖という字を考えた人よ
  従いて来て君の足許にいつも居たあのおとなしい犬はどうした
  くぐりを抜け叔母さんがにっこり笑ったっけあとさきの事さっぱりだけど
  テントウムシひっくり返してなまめかしき裏の仕組みに見入る老いの夜
  俯瞰写真に視て来たような路地があって水が何処かを落ちてゆく音
  日向だな電車を待つのは日向だな飛んでもないこと考えながら
 柴の歌の魅力は、さっぱりしていて湿っぽさがないこと。ほとんど老人の独り言のような歌い方であるが、高度な技巧で処理されており、口語が短歌から弱々しさや愚痴っぽさを取り除く手段として用いられている。若々しい口語で老いを詠んだ歌人という点で杉崎恒夫との共通性があるが、柴はより実生活に即した方法論を選んでいる。「揚げる」という言葉が「水気を飛ばす」という意味も含んでいて、非常にシンボリックなタイトルになっている。短歌を作ることは、つまり涙を吹っ飛ばすこと。力の抜け具合が実に魅力的な歌人である。