トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・1

 吉田一穂(よしだ・いっすい)という詩人がいた。1898年に北海道松前郡木古内町に漁師の息子として生まれ、積丹半島の古平町で育った。本名は由雄(よしお)。1973年に東京で没した。
 一穂の名は同世代の詩人である金子光晴三好達治と比べるとそれほど知られてはいない。また北海道の郷土詩人としての座も、3歳年下の小熊秀雄に奪われている感がある。しかし一穂ほど北国の空気感をロマンティックに表現しえた詩人はほかにはいない。吹雪のような読後感。言葉のダイヤモンドダスト。そんな表現がまさにぴったり来る不世出の「極北詩人」である。
 これからしばらく、一穂について書きつけてみようかと思う。北とは何か。北に生まれるとはどういうことなのか。その答えの一端が、一穂の詩の寒々しいきらめきのなかには確かに存在するように見えるからだ。

少年


蟲の約束に林を渡る啄木鳥よ。
(鴨は谿の月明かりに水浴【みあみ】してゐる)


参星【オリオン】が来た! この麗はしい夜天の祝祭【まつり】
裏の流れは凍り、音も絶え、
遠く雪嵐が吠えてゐる……


落葉松【からまつ】林の罠に、何か獲物が陥ちたであらう。
弟よ、晨、雪の上に新しい獣の足跡を探しに行かう。

 『少年』と題されたこの詩は文字通り一穂の少年期の追憶だろう。ここに一穂の原風景がある。林であり、美しい冬の星座であり、遠くに吠える雪嵐である。未知の象徴である「新しい獣」に胸をはずませる少年期の思い出が、この詩のなかには詰まっている。
 一穂は星を見上げることを愛し、林の音に耳を澄ますことを愛した詩人であった。しかし 一穂の詩に満ちている凄まじい冷気は、単に雪や冬の星座が頻繁に描かれるからではない。過剰にロマンティックであると同時にとてつもない恐ろしさがあふれているこの世界観は、他の北国では得られず北海道独特のものがあると思う。開拓された大地。人間の夢のために切り開かれた大地。北海道の人間は決して素直に北海道が故郷だなどとは言えない。そのほとんどが本州からの開拓民の子孫だからだ。北海道出身ですが、先祖はどこそこから来ましたという注釈を付けて自己紹介する者は少なくない。開拓民たちは大概がそれまで背負ってきたものをある程度リセットしてやって来た。その中には故郷にいられなくなった何らかの理由を抱えた者もいるだろうし、そうではなく純粋なフロンティア・ドリームを求めてやって来た者もいるだろう。それらすべての人達が、同じラインを引いたところからリスタートをしていった。社会的なリセットボタンとして、「開拓」は機能していた。
 一穂は「空を見上げる」詩人である。『少年』でもオリオン座があらわれたことに気分を高揚させている。この詩以外にも、星や空ゆく鳥を見上げるというモチーフが非常に多い。見上げることは、夢を見ることだ。決して手の届かない未来にひたすら憧れることだ。たとえ自分の生きているうちには届かなかったとしても、いつか子孫がその夢に手をかける日が来るかもしれない。そんな思いを胸に秘めたまま、開拓民はただひたすらに「見上げて」きた。
 それまで抱えていたものをばっさりと捨てて北の地を目指してきた開拓民たち。彼らと同じ空を見つめながら、一穂少年は気分を高揚させつつも目に見えない未来へと胸を騒がせている。自分の未来とは何か。自分は何を背負って生まれてきたのか。一穂が描いた「開拓民の子」の永遠の逡巡は、現代もなお綿々と引き継がれている。