トナカイ語研究日誌

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一穂ノート・2

 散文詩『石と魚』は、一穂20歳のときに書かれた初の散文詩『処女林』がもとになっている。「猟人日記」という小題が付されている通り、雪山を行く猟師の手記のような形式で書かれたものである。

小舎は雪に埋れてゐた。山影と林の記憶を辿り、二匹の犬に橇をひかせて、潜
るやうに雪を蹴散しながら、遅くこの番小屋【ヒュッテ】に着いた。去年の春の雪崩で山番
の老人が死んだため、閉したまゝの戸や屋根の明窓を掘りあげて入つた中は暗
く、たゞ一台の粗末な寝台と錆びて蜘蛛の巣くつた煖炉が残つてゐるきりだつ
た。犬は足もとに眠つてゐる。鉄砲を掃除してから少量の酒を飲んだ。今夜は
静かな雪だ。煖炉は音を立てゞ燃えてゐる。

 冒頭の一連である。雪山を舞台とした、やはり寒々しい空気感が続く。『石と魚』は散文詩とはいっても描写が平均的にしっかりとなされており、小説の文体に近い。後の散文詩に満ちているような寒さのなかの凄まじい熱気は比較的少ない。
 『石と魚』において特記しなければならないのは、『少年』と似た修辞がしばしば使われていることである。

木を穿つて棲む蟲の約束に、林を渡るミステックな啄木鳥よ、私は毎日銃を背
負つて出る。

落葉松の三号地の営林近くで、今日、新しい獣の足跡を見た。犬は低い唸り声
を発し息荒く嗅ぎながら凄い眼差をした。私はあの眼光を誰かのうちに見たこ
とがある。

落ち窪んだ谿の雪汀に、含声【ふくみごゑ】の鴨が四五羽、月光に水浴【みあみ】してゐるのを見た。私
は素早く伏して犬を制した。引金を絞つた。

 『石と魚』の中の一部を引いたが、いずれも『少年』に似たようなフレーズがある。蟲の約束、啄木鳥、落葉松、新しい獣の足跡、月に水浴する鴨。まったくのパラフレーズである。初めての散文詩である『石と魚』は、少年期の思い出を描いた『少年』と双生児のような関係にある。しかし『石と魚』が持っているテーマ性は『少年』と全く異なるものである。『石と魚』で描かれているのは吹雪に閉じ込められて犬二匹とともに不安に震えながら山小屋で夜を過ごす猟師の姿である。彼が助かったかどうかはわからない。闇夜のなかで怯える描写のまま詩は終わっている。
 『少年』では胸を騒がす未知の象徴である獣の足跡は、不安と恐怖の象徴に変わる。月光を浴びる鴨は猟師によって撃ち落とされる。ともに歩く弟は、従順な二匹の犬に変わる。少年が成長し猟人となったとき、見えてくる世界はひたすら闇と雪に包まれて変化してゆくことを余儀なくされる。

室は真暗だ。犬は火の消えた煖炉の側で、ちゞまつたまゝ震へてゐる、私は何
かを怖れてゐる。何者か、それは知つてゐる顔だ。誰れだ! 嫌な眼差だ。俺
は凝視されてゐる、頭が痛い。何日だらう? 酒は一滴も残つてゐない。哮え
たり唸つたりするうるさい奴だ。俺の心に翳るその大きい手を払へ。畜生!
いやに目にチラつく。「力」は「1」といふ数字を信じると同じ自己盲信だ。
血、力それは何んの意味もなさないであらう。


隠者【ハーミット】は石に魚を彫り、木に蜥蜴を刻む。それは自己の中に神を求める幻想だ。
深夜の恐怖が生む青い星だ。神を作り、方程式を証左とする獣よりも愚かしい
弱い生活者よ。「神を呪ひて石に魚を刻み、三条の沼底深く沈めたり。かくて
沼に一匹の盲魚あらはれ、夜毎に泛び出でて水面に映る星影を求めたり。」


※原文旧字体

 終盤の二連。吹雪という「停滞」に恐怖する猟師の姿。そして「嫌な眼差」への慄き。そして最終連では謎めいた「隠者」の暗喩が登場する。『石と魚』というタイトルもここから来ている。内なる神を持つことを否定し、ただ目の前の恐怖に打ち勝とうとする。「愚かしい弱い生活者」も「盲魚」も一穂自身のことだ。そして見つめてくる何者かは「生活」それ自体だろう。どうしようもない閉塞感のなかで明日に怯えていた、20歳前後の一穂。彼の年譜に照らし合わすことで見えてくるものが多い。